2018-05-04

白山比咩神社

加賀國一の宮 旧国幣中社「白山比咩神社」を参拝。石川県・岐阜県の県境に立つ白山(標高2,702m)の山麓に鎮座し、白山を神体山として祀る神社である。
全国 白山神社の総本山。

表参道 一の鳥居から 緑濃き杉並木の坂が続く
注連縄が掛けられている老杉がご神木。根元の周り約12m、胸高幹周り約10m、樹高約42mの巨木で、樹齢はおよそ800年といわれています。
参道の途中に厳つい顔の龍の手水舎
表参道を上がると神門越しに境内が見える

ご祭神は、白山比咩大神 <菊理媛神(くくりひめのかみ)と同一神とされる>と
伊邪那岐尊 ・伊弉冉尊
社殿は、本殿・幣拝殿・直会殿・外拝殿・遊神殿からなり、
本殿は大規模な三間社流造で、正面に庇の間と向拝を付ける。屋根銅板葺。
社殿の左手に、ご神木の三本杉。
こちらは、昭和天皇が境内にお蒔きになった杉の種より苗木を作り植樹したものです。

神紋は、「三子持亀甲瓜花」紋。
社殿右手前にある大欅。樹齢1000年です。

白山奥宮遥拝所。
大汝峰、御前峰、別山の「白山三山」の形をした大岩が祀られています。
毎月1日と15日の月次祭(つきなみさい)では、神職による遥拝が行われます。

さすがに規模の大きな神社でした。



大瀧神社・岡太神社

本殿が、日本一美しいと勝手に思っている福井県越前市に鎮座する「大瀧神社・岡太神社」を訪ねる。
しかし、日が悪かった。春のお祭りをやっているため、人は大勢、本殿も色々垂れ幕や木組みなどで全貌が・・・。静かにその姿を見ることはできなかった。

「大瀧神社・岡太神社」は、里宮で本殿を同じにしている。権現山に上宮があり「大瀧神社」「岡太神社」の本殿が並立しているとのこと。
ご祭神は、「大瀧神社」國常立尊、伊弉諾尊。「岡太神社」川上御前(岡太大神)。
岡太神社については、約1500年前、大滝町の岡本川上流に美しい姫が現れ、村人に紙漉きの技術を伝えたのが始まりとされている。この伝説の姫『川上御前』を、和紙の神様・紙祖神(しそじん)として祀っている。




圧倒的な造形美!! 参拝台が邪魔だがそれでもその美しさに30分以上眺め続けました。

劒神社

越前町織田に鎮座する越前國二ノ宮「劒神社」に参拝。(別名:織田明神)
旧国幣小社である。
尾張織田家はもともと越前織田荘出身で姓とし、主君の斯波氏の尾張守護任官で就いて尾張へ移った。その意味で、当社は織田家の崇敬をうけ保護されていたようだ。
素盞嗚尊を主祭神とし、気比大神・忍熊王を配祀する。
神紋は、「織田瓜」紋。



本殿は、屋根は柿葺の入母屋造で、正面に千鳥破風や唐破風をもつ屋根の姿は見事で、「織田造」と称されています。
本殿右手には、境内摂社「織田神社」があります。古来、八幡宮と称え、大願成就、厄除開運の守護神と仰がれております。流造、桧皮葺、欅材、流造り特有の屋根の勾配が優美な江戸時代初期の建物です。こちらも式内社に比定されています。



2018-05-03

田子浦藤波神社


氷見市にある「田子浦藤波神社」を参拝。
大伴家持が、国司で赴任した際に、「藤ノ木」を植えたとされる場所です。
また布勢水海に遊覧した越中国守・大伴家持は、田子の浦周辺の藤の花の美しさを愛し 「藤波の 影成す海の 底清み しずく石をも 珠とぞ吾が見る」 (万葉集め第19巻4199)と歌っており、氷見市下田子の田子浦藤波神社の後ろには、その歌が万葉仮名で刻まれた「大伴家持卿歌碑」が建っています。

田子浦藤波神社の創建は延暦17年(798)に大伴家持から授かった太刀を御神体として南兵衛尉信光が祀ったのが始まりと伝えられています。当初は剣の宮と称していたそうですが後年になり神明社となり明治18年に現在の田子浦藤波神社に社号を改称しています。





気多神社

越中國一の宮 4つ目は「気多神社」。

ご祭神は、大己貴命 (おおなむちのみこと)、奴奈加波比売命 (ぬなかわひめのみこと)ご配神に、菊理姫命 (くくりひめのみこと)事代主命 (ことしろぬしのみこと)。

ご神紋は「剣梅鉢」紋。ご加護を受けた前田家との所縁であろう。
本殿は、三間社流造。正面一間の向拝があり、屋根は柿板葺きで軒は二重繁垂木。木割が大きく全体に雄大な風格の本殿で室町時代の特徴を見ることが出来ます。
「一宮」の扁額
境内末社「大伴神社」。越中国司として現在の高岡市伏木に赴任した大伴家持を祀っています。

「かたかごの丘」と書かれた一角があり、 木の鳥居の奥に、「越中国総社跡伝承地」とかかれた碑が建っています。

気多大社

能登國一の宮 旧国幣大社「気多大社」を参拝。

ご祭神は、大巳貴命。
入母屋造りの拝殿
左手に摂社 若宮神社も見えます。
拝殿右手は、摂社 白山神社です。
本殿は、三間社(桁行3間、梁行4間)の類例の少ない両流造で、檜皮葺です。
神紋は「山桜」紋です。


能登半島の付け根、羽咋市北方に日本海に面して鎮座しています。祭神の大己貴命は出雲から舟で能登に入り、国土を開拓し守護神としてこの地に鎮まったとされています。

境内の左手の奥に、「神庫」なるものがあります。方一間の校倉造檜皮葺。もとは「宝蔵」と呼ばれていたようです。石川県の有形文化財に指定されています。
名前の通り「気」が多く集まるところで、御朱印と一緒に「氣」の半紙を頂きました。