2008-04-27

小戸神社と江田神社

神事の前に唱える祓詞(はらいごと)は、

掛けまくも畏き伊弉諾大神
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
御禊祓へ給ひし時に
生り坐せる祓戸の大神等 
諸々の禍事罪穢有らむをば
祓へ給ひ清め給へと白す事を聞食せと   
恐み恐みも白す
・・・

この「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」にまつわる二つの神社を今日は訪ねた。宮崎のメイン通りは、橘通りと呼ばれているが、当然ここからとられている。

001_2 まずは、大淀川のそばにある「小戸神社」。ご祭神はもちろん伊弉諾尊。「小戸」とは、今の大塚地区と下北方地区との間、柏田より広がる下流域の三角州、すなわち旧宮崎市街地全域を指した古い地名である。本来は、大淀川の河口にあったようで、港を守る神として大切にされたそうだ。現在は、何度も場所を移し、少し上流に位置している。

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神門をくぐり目の前には、ご神木の見事な「おかだまの木」が。おかだまは、元々は「招魂(おぎたま)」が訛ったものらしい。拝殿も厳かだ。

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神社の方に、ご由緒書きをもらい。境内を後にして、阿波岐原にある「江田神社」にむかった。こちらは、伊邪那岐尊、伊邪那美尊の両神を祀っている。   

008_2妻である伊邪那美を追って黄泉の国へ行った伊邪那岐が、黄泉から戻った時に、その汚れを祓うために阿波岐原で「禊祓(みそぎはらえ)」をした、と古事記にあることから、阿波岐原はみそぎ発祥の地であるとされ、近くにはみそぎの池(御池)がある。そばには、フェニックスゴルフクラブやシーガイアリーゾートホテルがある。昨日はそこで、部下の結婚式に参列した。由緒ある場所での結婚式とは羨ましい限りだ。

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「延喜式」では日向国式内四座の一つとなっている。拝殿の右横から御池へ向かう途中に「みそぎ御殿」というのがあった。そこから少し散策してみそぎ池(御池)へ向かう。

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今日も 日向神話を訪ねる半日となってしまった。

2008-04-20

霧島東神社

Dscf1302霧島六社権現の内の一社。「霧島東神社」は、高千穂峰の東麓、標高500mの位置にあり、霧島の火口湖の中で最も大きい御池を見下ろす大自然の山中に鎮座している。ご祭神は、伊弉諾尊 伊弉冉尊。噴火を繰り返す自然の厳しさの象徴として山岳信仰の場として日本有数の霊場であり、霧島で修 行をする修験者たちの拠点となったところ。性空上人が開いた。霧島東神社の参道は、高千穂峰への登山道の始まりでもある。朱の鳥居の奥に鬱蒼とした木立が続く。少し登ってゆくと参道沿いに突然、結界で囲まれた祭祀場が。木々に隠れよく見ないが、あきらかに御池に向かっている。ここではいったいどのような祭事が行われるのだろう。

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さらに石段を上がったところに霧島東神社の社殿がある。その山門の前には一直線に空に向かって伸びる2本の杉の木が鳥居のごとく注連縄を締めて鎮座していた。

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社殿までの道沿いには摂社・末社が並んでいる。その一番手前は、猿田彦命の社だ。
いかにも無造作に鏡が飾ってある。なかなかこんなに近くで神鏡を拝める機会はないのではないだろうか。そして奥に、赤と黒の重厚な社殿。

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日向神話を楽しむドライブであった。

皇子原神社

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神武天皇ご降誕の地と伝えられている皇子原(オウジバル)は、高原町一帯を見下ろす高台にある。狭野神社をさらに奥に登ってゆくのだ。皇子原神社には産場石(うべし)と呼ばれる石がまつられている。これは神武天皇がお生まれになった場所、あるいは産湯をつかわれた場所であると伝えられている。ここから、狭野の地が一望できる。近くの公園では、山桜が満開で美しかった。

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狭野神社

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高原町(タカハル)にある、神武天皇生誕の地「狭野」を訪ねた。そこには、霧島六社権現の一つ狭野神社がある。狭野神社は、神武天皇 (カムヤマトイワレヒコノミコト) 幼名、狭野尊(さのみこと) を祀るお社である。境内まで大きな杉の参道が続く。島津氏が植えた400年を超える大杉は、神の御座にふさわしい。

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Dscf1293_2 宮崎に来なければ、絶対に知らずにいた場所であろう。狭野は、山々の地とは思えぬ程の平地がある。梅原氏が書いたように、稲作が十分発達しそうな地だ。狭野は、神武天皇の父、ウガヤフキアエズノミコトがこの地に移り(宮之宇都)、神武天皇を生んだとされ、その胎盤を捨てたとされる「血捨之木」や東征の際に渡った「狭野渡し」「馬登」「鳥居原」など神話にある名が多く残る。

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東から西へ続く参道の端にある神門をくぐって、右方向に社殿がある。
つまり、社殿は南向きだ。参拝者はL字に歩いて参拝する。
境内は広く、60mを越える狭野杉が立派であった。

非常に趣のある、立派な神社であった。

2008-04-06

桜と菜の花~西都原古墳群

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あいにく曇り空だったが、朝から「西都原古墳群」を散策。菜の花と桜の風景は、さすがに最高。古墳群は、思っていたより高台に存在した。市街から少し坂を上ってゆくと広大な台地が広がる。004 005    

一番手前の古墳は、「鬼の窟」(206号古墳)。直径36.4m、高さ7m の円墳で、墳丘の周囲に外堤と二重の堀有し、西都原古墳群 では横穴式石室を有する唯一の古墳で、最後の首長の墓とされている。6世紀末~7世紀初めに造られたもので、この形式は朝鮮半島や中国を源流とする新形式の古墳らしい。次に観たのは、巨大な「女狭穂塚」「男狭穂塚」<宮内庁の管轄下にあるため、樹木に覆われた周囲は柵で囲まれ、普段は中へ入る事は出来ない>の側に西都原古墳群311古墳の中で唯一の「方墳」である、171古墳。「女狭穂塚」の横にある。

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誰も観に来ていなくて、ひっそりと目立たないように「方墳」はあった。墳丘規模は、東西20m 南北21.8m。「方墳」は島根県安来市の大成古墳、造山古墳が全国最大の規模を誇り、その他方墳も出雲に集中しており、前方後方墳の魁もみられる。出雲系であるこの方墳が何故ゆえ、天孫族のお膝元西都原にあるのか?オオクニヌシが日向で暮らし、タキリヒメと結婚し、この地で亡くなり、方形の陵墓を作ったという説がある。おもしろい。ただそれにしては、少し小さい気がする。

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011 その後、西都原考古学博物館を見学。地下に展示物、2階には図書館。3階は展望台になっている。りっぱな建物だ。展望台からは、いくつもの円墳が見える。その後、4号地下式横穴墓や、船塚(265号)、100号古墳などを見て回る。最後の「鬼の窟」までもどり、南にある「姫塚」(202号)を見学。短い時間だったが、少し不思議な空間に触れることができた。

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古墳群を離れ、西都市街にある「都萬神社」へ。都農、霧島、高千穂と並ぶ、日向式内四座の一社でした。都萬は「妻」に通じ、ニニギノミコトの妃である「木花開耶姫命」を祀る。「桜」は、コノハナサクヤヒメが語源とされる。古墳群の桜の美しさが頷ける。この神社は、日向国二之宮である。意外に小さな神社であった。                  

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拝殿には宝徳3年(1451年)に献上されたという日本一を誇る巨大な太刀(3.5メートル)が安置されている。そして拝殿の横に、日本酒発祥の地の碑が?コノハナサクヤ姫が3人の皇子を育てるのにお乳の代わりに甘酒を与えたという伝承があるそうです。

宮崎ならではの、古代を偲ぶ休日でした。