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2019-08-14

中山神社(下関市)

下関を離れる直前に「中山神社」に参拝です。
 幕末期に尊王攘夷の立場で活動(天誅組)し、1864年(元治元年)に、俗論党に暗殺された公家の中山忠光卿が祭神として祀られている。

神紋は、もちろん『中山杜若』紋

そして境内には、「愛新覚羅社」が。

中国清朝最後の皇帝、宜統帝(薄儀)の弟、愛新覚羅薄傑(あいしんかくら ふけつ)、及び彼の妻で忠光の曾孫にあたる浩(ひろ)をご祭神として祀っています。


忠光は長州藩にかくまわれていた時に側女として仕えていた恩地トミを溺愛した。恩地トミは、忠光が暗殺された後に遺児仲子を産んだ。忠光の正室・富子が仲子を引き取り養育する事になり、公家の姫として育てるために長府藩の藩主毛利氏の養女となり公家・中山家に引き取られた。維新後に仲子は嵯峨公勝夫人となった。清朝最後の皇帝で後に満州国皇帝となった愛新覚羅溥儀の弟である溥傑に嫁いだ浩は、仲子の孫で、忠光の曾孫にあたる}。


境内に 展示館もあります。
中山忠光公のお墓

2018-08-12

福徳稲荷神社_下関

山口県には、『日本の最も美しい場所31選』にも選ばれ、すっかり有名になった『元乃隅稲成神社』がありますが、こちらの神社も絶景です。

朱色の大鳥居越しに美しい響灘を一望できます。

そしてもう一つの魅力は何と言っても千本鳥居。






2018-08-10

亀山八幡宮_下関

私の実家のある下関の「亀山八幡宮」です。有名な唐戸市場(南風泊:はえどまり)のすぐそばに鎮座しています。小さい頃よくお詣りに行きましたが、久しぶりの参拝です。

主祭神は、もちろん応神天皇・仲哀天皇・神功皇后で、仁徳天皇・武内宿禰を合祀しています。関門海峡鎮護の神社として歴代領主の大内氏・毛利氏らの崇敬を受け、下関の総鎮守、長門国三宮とされました。

境内からみる関門大橋、関門海峡
こちらの神紋は「木瓜」紋。八幡宮は圧倒的に「三つ巴」紋が多いので、「木瓜」紋は珍しいですね。紀氏の紋=木瓜⇒紀氏の祖「武内宿禰」あたりが要因でしょうか。
本殿は見えませんでした。
下関らしく「ふくの像」が境内にあります。

ここは山陽道の西の起点でもあります。

2017-08-13

長門一の宮 住吉神社2

本日、実家の下関からカミさんの実家 伊賀上野へ移動します、その前に、国宝 九間社流造の本殿をもつ長門國一宮 住吉神社 を、参拝です。1度掲載していますが、当時のデジカメでは綺麗に撮影できていなかったので撮りに来ました。ご神木 大楠も見事。

大鳥居をくぐると、右手に神池があり「厳島社」が置かれています。


境内の中央に「朱の太鼓橋」

拝殿側から撮影


手水舎をすぎて、階段を上ると楼門があり、その奥が拝殿。
楼門には、本殿が南面していることを示す美しい羅針盤があります。
大阪の住吉大社(総本山)は、住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)の和魂(にぎみたま)を祀り
ここ下関の住吉神社では、荒魂を祀っています。そしてこちらでは、第一殿に三神すべてを祀っています。

こちらが、国宝「九間社流造」の本殿。5つの千鳥破風付き一間社を合の間とともに一列に連ねた檜皮葺の流造です。美しい!。
後方に回ると、「九間」というのがよくわかります。
山口県には、国宝建築物は、3つしかありません。
他の2つは、私に通っていた中学校にそばにある、お馴染み「功山寺の仏殿」(下関市長府)と
瑠璃光寺五重塔(山口市香山)です。
錦帯橋も1950年に流出崩壊していなければ、国宝に指定されていただろう。

境内右手奥にある霊木の「大楠」です。樹齢1800年と言われています。是非お立ち寄りを!

2016-08-13

元乃隅稲成神社

2014年7月に出版された「死ぬまでに行きたい!世界の絶景 日本編」に掲載され、2015年、アメリカのニュース専門放送局・CNNが3月30日にウェブ上で発表した「Japan’s 31 most beautiful places “日本の最も美しい場所31選” 」に選ばれたために、」突如有名となった「元乃隅稲成神社」。地元なので、なおさら参拝しなくてはいけない。というわけで、父親の墓参りの後に寄ってきました。

鳥居を見上げる人、参道に鳥居に向かっての行列。
ここは、なんと鳥居の額束の裏に「賽銭箱」があるのです。
その賽銭箱にお金が入れば願いが叶うという、3度挑戦しましたが、OUT!
左横にある、箱に納めさせていただきました。(外れた人用の賽銭箱)

流石に大勢の観光客がいました。鳥居が123基、岬へと続いています。


島根県津和野町太鼓谷稲成神社から分霊された神社です。「稲成」の文字は全国この2社のみ。
岬の鳥居と本殿



萩_松陰神社



萩にある「松陰神社」を参拝。ご祭神は「吉田松蔭先生」

参道の右手には、松陰先生と木戸孝允の絵馬がありました。

二の鳥居は、立派な額束をもつ木の「明神鳥居」です。
吉田家の家紋と同じ神紋「五瓜に卍」の提灯


本殿は、一間社流造のようです。

境内には、「松下村塾」跡があります。






安政6年10月20日、既に一死を覚悟した松蔭先生は、獄中より家族にあてて手紙を書き送ります。 「平生の学問が浅薄であったために、至誠天地を感動させることができませず、非常の変事にたちいたりましたこと、さぞご愁傷のことと拝察つかまつります」として、「親思う こころに勝る 親ごころ 今日の音づれ 何ときくらん」の歌を書き残します。
それが家紋とともに石碑となっていました。