猪苗代町_土津神社を参拝。
陸奥会津藩初代藩主・保科正之を祀っている。保科正之の墓所も神社の奥にある。
2007年単身赴任先宮崎で土日の楽しみとして巡った「神社」の奥深さに惹かれ、それ以来神社探訪を続けています。神社の位置・ご祭神・神紋・鳥居・本殿を中心に気ままに書きなぐっています。ご訪問ありがとうございます。
2018-04-21
磐椅神社(いわはし)_猪苗代町
式内社「磐椅神社」を参拝。土津神社の東方500mのところにある。
郡内一の大社であったと伝わる。神社の名は、磐梯山の古名「磐椅山(いわはしやま)」に由来し、神体山崇拝の歴史を現在に伝えている。境内には、村上天皇の時代、勅旨が参拝の折に京都から移植したと伝わる大鹿桜(会津五桜の一つ)がある。土津神社は末社とされる。ご祭神は、 大山祇命、埴山姫命。磐梯山(古名:磐椅山)信仰の象徴としての神社だったようだ。 磐椅と書いて、「いわはし」と読むが、 一説には、天上へ続く、「石の橋」であるという。
樹齢800年の鳥居杉。中ほど二股別れの所に、山桜の寄生木。非常に珍しい。
元々、左に杉はあり、そこに注連縄が張られていたようです。
本殿は、覆屋の中。流造のようです。
神社の前にあった「大鹿桜」。別名「翁桜」ともいい、会津の五桜にも数えられる名木。
これを観に来たのですが、残念。全く咲いていませんでした。花の色が白から次第に鹿の毛色に変化することから「大鹿桜」と名づけられたといいます。
郡内一の大社であったと伝わる。神社の名は、磐梯山の古名「磐椅山(いわはしやま)」に由来し、神体山崇拝の歴史を現在に伝えている。境内には、村上天皇の時代、勅旨が参拝の折に京都から移植したと伝わる大鹿桜(会津五桜の一つ)がある。土津神社は末社とされる。ご祭神は、 大山祇命、埴山姫命。磐梯山(古名:磐椅山)信仰の象徴としての神社だったようだ。 磐椅と書いて、「いわはし」と読むが、 一説には、天上へ続く、「石の橋」であるという。
樹齢800年の鳥居杉。中ほど二股別れの所に、山桜の寄生木。非常に珍しい。
元々、左に杉はあり、そこに注連縄が張られていたようです。
本殿は、覆屋の中。流造のようです。
神社の前にあった「大鹿桜」。別名「翁桜」ともいい、会津の五桜にも数えられる名木。
これを観に来たのですが、残念。全く咲いていませんでした。花の色が白から次第に鹿の毛色に変化することから「大鹿桜」と名づけられたといいます。
ネット画像より
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