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2019-05-22

菅生石部神社

加賀市に鎮座する加賀国二の宮、旧国幣小社「菅生スゴウ石部神社」を参拝。

ご祭神は、天津日高日子穂穂出見命・豊玉媛命・鵜葺草葺不合尊の三柱。

神紋は「州浜」紋という珍しい紋
石部=磯部=州浜か???
「十六菊菱」紋も使われている。
ご神木。

2012-04-07

静神社(常陸国二宮)

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常陸国二宮にして、延喜式神名帳の名神大社「静神社」へ参拝。この神社に参拝するために、今日は水戸の友人と静ヒルズカントリーでGOLF。ゴルフの調子は記事にもできないイカンともしがたい状態です。 さて、静神社は、主祭神は建葉槌命(たけはづちのみこと)、相殿神は手力雄命(たじからのみこと)・高皇産霊命(たかみむすびのみこと)・思兼命(おもいかねのみこと)である。建葉槌命は武神であるが又の名を名倭文神(しどりのかみ)といい日本で初めて織物を織りだされた神といわれています。 003
深い森の中の参道は静謐さを感じます。社名の「静」は、倭文(しづり、しどり)からの転訛とされている。 004
階段を上がるとまず唐門があり、その奥に拝殿<銅板葺入母屋造(平入、唐破風付)>・中門・本殿と続く。 006
神紋は「桜」のようです。女神か? 011
本殿は神明造り。やはり千木(水平)・鰹木(6つ=偶数)がはなぜが「女神」形式でした。 常陸の国風土記に「綺日女(かむはたひめ)の命」という機織りに女神が登場します。元はこの綺日女(かむはたひめ)の命が祭神だったのかもしれませんネ。

2011-08-10

赤城神社(三夜沢)

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本日のお目当て、赤城山の麓「三夜沢町」にある赤城神社へ。赤城神社と名の付く神社は、群馬県内には118社、日本全国では334社あります。 この赤城神社はその総本社となります。その聖域さに唖然。手水舎は、神池に突きだしてつくられています。
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参道横に置かれた「神代文字(じんだいもじ)」の碑はなんなのでしょう。
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拝殿は、巨大なタワラ杉に囲まれています。
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神明造りの本殿も重厚です。
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とにかく凛としていて、神々しいまでの境内でした。


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ご祭神は「大己貴命」「豊城入彦命」です。神紋は「十六菊」でした。


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赤城の文字の灯篭が印象的です。


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2011-05-29

上総国二宮 橘樹神社(たちばなじんじゃ)

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ゴルフが中止なった場合、ここまで車を走らせてくるのがもったいので、その前に「上総国二宮 橘樹神社」を参拝。延喜式 式内社である。ご祭神は、弟橘媛。ご神紋は「橘」のようです。茂原市の少し北に位置しています。日本武尊が東征の際、走水の海峡を渡ろうとした際に海神の怒りを買い、身代わりとなった弟橘媛命のために日本武尊が墳墓を造り、櫛を収めて橘の木を二株植えたのが、当社の始まりといわれています。後方に古墳があり、昔はそこがご神体で本殿はなかったようです。
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今は、銅板葺流造の本殿が見事です。
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こじんまりとした、静かな境内です。ご朱印は、宮司がおらず印刷したものをいただきました。残念。

2010-09-20

多度大社

次に向かったのは、「多度大社」。まずは、坂道のでっかい一の鳥居が迎えてくれる。
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多度大社は、『延喜式』神名帳に「多度神社」の名がある延喜式内社で、伊勢国二宮と言われている。天照大神の御子神・天津彦根命を主祭神とする。階段の左手に土の坂、「上げ坂」とよばれる当社の例祭に行われる「上げ馬神事」が行われる坂があり、境内入口に白馬が。
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ご神域は、清浄そのもの。
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左手は本宮。右手は別宮となっている。別宮には天津彦根命の御子神「天目一箇命」が祀られている。本宮右奥には滝が流れ、格別の気を放っている。
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2010-08-11

佐太神社

今回の旅行でどうしても参拝したかったのがこの出雲國二ノ宮「佐太神社」。
玉造から一度、宍道湖東面を通り抜け松江市の北に向かう。
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神名備の朝日山を背に東面する姿は、勇壮かつ厳粛。ご祭神は、佐太大神。そして御本殿三社に十二柱の神々を御祀りしている。各本殿毎に神紋をもつ。
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正殿は「地紙」紋・・・佐太御子大神・伊弉諾尊・伊弉冉尊・事解男命・速玉男命
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北殿は「輪違い」紋・・・天照大神・瓊々杵尊
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南殿は「二重亀甲」紋・・・素盞鳴尊・秘説四座
もともとは、佐太大神のみだったと言われている。ご祭神も時代によって替えられているようだ。ご朱印をもらう時に、権禰宜さんに「社紋」もあるのか尋ねると「十五本骨檜扇」紋ということだった。
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しかし、3つ並ぶ大社造りは、見るものを圧倒する。南殿の入口が、珍しく左につけられていたので、尋ねると日本でここ以外にないとのことで、当時の宮大工の「美的感覚」ではないでしょうかという答えであった。なるほど。しかしそれだけの理由だろうか?宿題にしておこう。当社では、出雲大社の後を受け継ぎ「神在祭」が行われる。(11/20夜~11/25夜)さて「佐太大神」は現在では「猿田毘古大神」と定義されているが、最後にそれだけは、ありえないということを書いておきたい。

このあと再度、松江市内のもどり、お盆のお供え物を各実家に送るため「彩雲堂」という和菓子店へ。松江は、金沢に次ぐ和菓子の盛んな町らしい。(松江藩七代藩主 松平出羽守治郷 不昧公が茶道を極めたことから始まっているとのこと)。ここで抹茶と和菓子(代表的な若草という和菓子)を頂く。おいしい!!

2010-05-23

千葉 二宮神社

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船橋市にある千葉の式内社「二宮神社」に参拝。下總國千葉郡ニ座のうちの一つに 「寒川神社」とあるのが、この「二宮神社」だろう。千葉市内にも同名の「寒川神社」があるのですが、こちらの二宮神社の方が有力のようです。ご祭神は、速須佐之男命。稻田比賣命 大國主命を配する。
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神紋は「亀甲に七曜紋」。千葉氏の影響だろう。(千葉県内の神社は、千葉氏に加護を受けていた関係から千葉氏の家紋「月星紋」を神紋としている神社が多いのである。月星紋は、千葉氏の妙見信仰の顕れ)

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社殿は、銅板葺の権現造り。彫刻も見事なものだった。


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2010-04-24

金鑚神社(かなさな)

今日は、東京へ戻って初めてのゴルフ(コンペ)で埼玉の本庄児玉まで足を運んだ。4時半起きの5時出発。2時間かけての小旅行だ。20分以内に10以上もゴルフ場があった宮崎が懐かしい。その上早出にもかかわらず6時頃の関越自動車道はすでに渋滞。恐ろしいや関東。さてゴルフだが、1ヶ月ぶりにクラブを握ったので、さすがにスコアは散々。やはり練習せねば。帰宅前に、近くに旧武蔵の国二宮であった「金鑚神社」があると調べていたので参拝しに。
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旧官幣中社にして名神大社そして式内社と由緒ある神社(もとは金佐奈神社)である。御祭神は、天照大神、素盞嗚尊です。日本武尊が配祀されています。社伝によると、景行天皇の四十一年、日本武尊東征の帰途、東国鎮護のために、伊勢神宮の伯母である倭姫命から草薙剣に副えて、賜った火鑚金(火打石)を御霊代として、御室ヶ嶽に天照大神と素盞嗚命を祀ったのが創祀らしい。「金鑽」の社名は、社伝にあるように、火打石(火鑽金)が御魂代であることから起ったとする他に、金鑽=金砂と見る説がある。すると社名からして金山彦尊がご祭神だったのではと思う。近くには、蛭川という地名もあり出雲系の匂いがしてならない。
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特徴は、なんといっても「拝殿」のみで「本殿」がないこと。参拝者はご神体である神奈備「御嶽山」を祝詞屋を通じて拝する。「本殿」を持たない旧官幣・国幣社は、奈良の大神神社・長野の諏訪大社とこの「金鑽神社」のみ。非常に静かで清々しい空気の神社であった。
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参道には、重要文化財である「多宝塔」がある。ご神紋は「樫の葉」らしいが、みつけることができなかった。残念。

2009-07-26

西都 記紀の道

雨の中、西都市訪問。目的は、「記紀の道」探訪。まずは、再拝「都萬神社」へ。

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ご祭神は、コノハナサクヤヒメ。天孫降臨ニニギノミコトの妻である。コノハナは桜の花。その為、当神社のご神紋は、「桜」。拝殿にも神紋が施されている。

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ご当地は、日向伝説のニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの出逢いと結婚・出産にちなんだ伝承j地を辿る「記紀の道」というのがある

①御船塚・・・地上に降り立ったニニギノミコトの一行が舟に乗って着いたところで、その時の舟が祀られている。

②逢初川・・・ニニギノミコトが、水を汲みにきていたコノハナサクヤヒメと初めて出会い、見そめられた場所

③八尋殿・・・結婚したニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの新婚生活のために建てられた御殿の跡。

④無戸室・・・コノハナサクヤヒメが出産のために造った産屋の跡。

⑤児湯の池・・・火の中で生まれたホデリノミコト(海幸彦)、ホスセリノミコト、ホオリノミコト(山幸彦)の3神の産湯に使ったところ

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是非、お尋ねあれ!!

2008-04-06

桜と菜の花~西都原古墳群

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あいにく曇り空だったが、朝から「西都原古墳群」を散策。菜の花と桜の風景は、さすがに最高。古墳群は、思っていたより高台に存在した。市街から少し坂を上ってゆくと広大な台地が広がる。004 005    

一番手前の古墳は、「鬼の窟」(206号古墳)。直径36.4m、高さ7m の円墳で、墳丘の周囲に外堤と二重の堀有し、西都原古墳群 では横穴式石室を有する唯一の古墳で、最後の首長の墓とされている。6世紀末~7世紀初めに造られたもので、この形式は朝鮮半島や中国を源流とする新形式の古墳らしい。次に観たのは、巨大な「女狭穂塚」「男狭穂塚」<宮内庁の管轄下にあるため、樹木に覆われた周囲は柵で囲まれ、普段は中へ入る事は出来ない>の側に西都原古墳群311古墳の中で唯一の「方墳」である、171古墳。「女狭穂塚」の横にある。

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誰も観に来ていなくて、ひっそりと目立たないように「方墳」はあった。墳丘規模は、東西20m 南北21.8m。「方墳」は島根県安来市の大成古墳、造山古墳が全国最大の規模を誇り、その他方墳も出雲に集中しており、前方後方墳の魁もみられる。出雲系であるこの方墳が何故ゆえ、天孫族のお膝元西都原にあるのか?オオクニヌシが日向で暮らし、タキリヒメと結婚し、この地で亡くなり、方形の陵墓を作ったという説がある。おもしろい。ただそれにしては、少し小さい気がする。

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011 その後、西都原考古学博物館を見学。地下に展示物、2階には図書館。3階は展望台になっている。りっぱな建物だ。展望台からは、いくつもの円墳が見える。その後、4号地下式横穴墓や、船塚(265号)、100号古墳などを見て回る。最後の「鬼の窟」までもどり、南にある「姫塚」(202号)を見学。短い時間だったが、少し不思議な空間に触れることができた。

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古墳群を離れ、西都市街にある「都萬神社」へ。都農、霧島、高千穂と並ぶ、日向式内四座の一社でした。都萬は「妻」に通じ、ニニギノミコトの妃である「木花開耶姫命」を祀る。「桜」は、コノハナサクヤヒメが語源とされる。古墳群の桜の美しさが頷ける。この神社は、日向国二之宮である。意外に小さな神社であった。                  

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拝殿には宝徳3年(1451年)に献上されたという日本一を誇る巨大な太刀(3.5メートル)が安置されている。そして拝殿の横に、日本酒発祥の地の碑が?コノハナサクヤ姫が3人の皇子を育てるのにお乳の代わりに甘酒を与えたという伝承があるそうです。

宮崎ならではの、古代を偲ぶ休日でした。