今日行った「ザ・インペリアルゴルフクラブ」の裏手にある「鷲神社」もプレー前に参拝。
入り口が見つけにくかったのですが、鳥居をやっと見つけました。石段は90段。名前の通り、祭神に天日鷲命を奉り天長年間(824~34)創建とされる由緒ある神社です。
石段を登りきると広場になり、玉垣、灯篭、狛犬などはないが、稲荷神社や 浅間神社の祠が周囲に並んでいる。
拝殿は極めて質素。何づくりかもわかりません。
本殿は美しい一間社流造でした。
階段を鳥居に向かって降りてゆくとのどかな田園が広がっています。その向こうが見えませんが霞ヶ浦です。
2007年単身赴任先宮崎で土日の楽しみとして巡った「神社」の奥深さに惹かれ、それ以来神社探訪を続けています。神社の位置・ご祭神・神紋・鳥居・本殿を中心に気ままに書きなぐっています。ご訪問ありがとうございます。
2012-05-26
神崎<こうざき>神社(千葉)
2012-05-12
愛宕神社(茨城:行方市)
ゴルフで近くまで来たので探しました。茨城行方市にある「愛宕神社」です。鳥居と社殿の間の谷地に、「天龍の御手洗」といわれる清水があります。『常陸国風土記』行方郡に見える、「椎井」に比定されています。 継体天皇の時代、箭括氏の麻多智という人が郡役所の西側の谷を開墾したとき、体は蛇で頭にツノのある「夜刀の神」が群れをなしてやってきて、田をつくることを妨害した。そのため、麻多智は怒り、甲冑で身を固め、矛を手にとって、打ち殺して追い払った。そして、山の入り口に境界となる標の杖を立てて神の土地と人の土地を分け、自身は夜刀の神の祭祀者となって、はじめて社をつくって祀った。 また、孝徳天皇の時代、壬生連麿が谷にあった池に堤を築いていたとき、やはり夜刀の神が群がりきて、椎の木にのぼって居座った。そこで、麿は大声で怒鳴り、「この池を修復させるのも、根本は人民の生活をよくするためなのだ。大君の教化に従おうとしないのは、いったいどこの神なのか」といい、使役の農民たちに、「目に見えるものは魚でも虫でも、恐れたりせずにことごとく打ち殺せ!」と命じた。すると、夜刀の神は恐れ、逃げ去っていった。 この池が、椎井の池と名づけられた、といいます。 小さな麻多智の像が、池のほとりにありました。
境内に、「夜刀神」の碑があります。
社殿は、今にも崩れ落ちそうでした。
2012-05-03
阿彌神社
今日は、ゴルフの予定でしたが、あいにくの大雨で中止に。途中まで車で向かっていたので神社参拝に変更。 式内社「阿彌神社」は、論社が二社ある。どちらも参拝してきた。まずは、阿見町竹来にある「阿彌神社」。
ご祭神は、健御雷之男命。もとは、普都大神=經津主命と言われている。
鬱蒼とした林の中に境内がある。右手に一つだけ立派な境内社があった。 神紋は「三つ巴」のようです。
本殿は三間社流造です。
もう一社は、阿見町阿見にある「阿彌神社」。こちらのご祭神は、豊城入彦命・経津主命。 由緒によると、崇神天皇十八年、豊城入彦命、東国 に荏み曽て此地に到り昔建御雷経津主二大武神平国の功を憶い、其の上 天地なるを偲びて慨然としていわく「皇 祖の天下を経営せらるるや、阿彌普都 実に能く天業を輔弼せり両神功成り て天に還りしは、蓋し是の地なるか」とこ れより阿彌郷と名づけ、この地に命を 祭る。とあります。
現在は、住宅街の一角に鎮座している。
参道の途中に立派な鳥居がありました。その奥に拝殿。
本殿は、一間社流造でした。
蛟蝄(みづち:こうもう)神社(奥の宮)
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