1社目「小網神社」。強運厄除の総本社で約550年前の文正元年(1466年)に鎮座した古社です。ご祭神は稲荷大神の倉稲魂命(うがのみたまのみこと)で、明治期、神仏分離令により廃寺となった寺に安置されていた弁財天と福禄寿を譲り受け、配神と合わせて祀るようになりました。像がお舟に乗られているため、万福舟乗弁財天と言われています。そして、福禄寿さまは、健康長寿の御利益とともに、「福徳」「人徳」「財徳」など多くの「徳」を授ける神様です。
2社目「茶ノ木神社」。もとは下総の佐倉城主の大老・堀田家の屋敷で、ご祭神の倉稲魂命(うがのみたまのみこと)はその守護神です。屋敷はもとより周囲の町方にも、長年火災が起こらなかったため、火伏せの神として崇められている一方、合祀されている布袋尊も福徳円満の神として広く人々の信仰を集めています。
3社目「松島神社」。江戸時代に当地付近が松島町と名付けられたといい、明治7年には松島稲荷神社として村社に列格していたといいます。ご祭神は、稲荷大神をはじめ13神。その中に、大国主神(だいこくさま)がいらっしゃいます。
4社目「水天宮」。こちらは、現在敷地を含め大がかりな改修工事中で、明治座(浜町公園前)の近くにある仮宮へ参拝。完成には3年ほどかかるそうです。水天宮は、久留米藩主有馬頼徳公が港区赤羽の藩邸内に久留米市水天宮の御分霊を文政元年(1818)勧請して創建したといいます。藩邸の移動に伴い、青山への遷座を経て、明治5年当地に遷座しました。ご祭神は、天御中主大神です。また、安徳天皇、建礼門院、二位ノ尼も配祀されています。ご参拝の妊婦の方が鈴乃緒(鈴を鳴らす晒しの鈴紐)のおさがりを頂いて腹帯として安産を祈願したところ非常に安産だったことから人づてにこの御利益が広まりました。そして末社のひとつが、中央弁財天です。
5社目「笠間稲荷神社」。日本三大稲荷のひとつ、茨城県の笠間稲荷神社の東京別社。ご祭神は、もちろん宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。寿老神が末社に祀られるようになったのは、昭和51年(1976年)と比較的最近。長寿、お導き、幸運の神様として、人々の運命をよい方向へ切り拓いてくれるそうです。
6社目「末廣神社」。もともとはこの地にあった遊郭、葭原(吉原)の氏神で、末廣の名は延宝3年(1675年)に社殿を修復した際、本殿から縁起のよい中啓(末広扇)が出たことにちなむ。お稲荷様とともに合祀されている毘沙門天は、本来は竹甕槌命(たけみかづちのみこと)という武道の神様です。
7社目「椙森神社(すぎもり)」。社伝によれば平安時代に平将門の乱を鎮定するために、藤原秀郷が戦勝祈願をした所といわれています。室町中期には江戸城の太田道灌が雨乞い祈願のために山城国伏見稲荷の伍社の神を勧請して厚く信仰した神社で、江戸時代には、江戸城下の三森(烏森神社、柳森神社、椙森神社)の一つに数えられ、椙森稲荷と呼ばれていました。特に信仰の厚かった神道家・吉川惟足が恵比寿大神を奉斎しました。
8社目「寶田恵比寿神社」。もとは江戸城外の宝田村の鎮守で、現在の皇居前にあったが、徳川家康公による江戸城拡張により日本橋本町に移転した。祭壇中央に祀られる恵比寿神像は、慶長11年(1606年)に三伝馬取締役の馬込勘解由が徳川家から譲り受けたもので、運慶作とも左甚五郎作とも。
これにて、8社9神の「日本橋七福神めぐり」は終了。60分から90分程度で巡り事ができます。どうぞご参拝ください。
水天宮では、七福神の色紙もいただくことが出ます。