2015-01-11

浅草神社

浅草神社参拝してきまいた。なんと初「浅草神社」です。

ご祭神は、土師真中知(はじのあたいなかとも)命・檜前浜成(ひのくまはまなり)命・檜前武成(ひのくまたけなり)命です。

推古天皇36年(628年)、檜前浜成・武成の兄弟が隅田川で漁をしていたところ、網に人形の像がかかった。 兄弟がこの地域で物知りだった土師真中知に相談した所、これは観音像であると教えられ、二人は毎日観音像に祈念するようになった。 
その後、土師真中知は剃髪して僧となり、自宅を寺とした。これが浅草寺の始まりである。 
土師真中知の歿後、真中知の子の夢に観音菩薩が現れ、そのお告げに従って真中知・浜成・武成を神として祀ったのが当社の起源であるとしている。
 
明治の神仏分離により浅草寺とは別法人になり、明治元年に三社明神社に改称、明治5年に郷社に列し、明治6年に現在の浅草神社に改称されました。
さすが三連休。浅草はかなりの人手。参拝もかなりの行列でした。

三社祭り(毎年5月)の神輿。豪華絢爛です。

神紋は「三つ網」紋。

本殿は、関東のお膝元だけに権現造です。
本殿右奥には「被官稲荷神社」がありました。被官稲荷神社正面の鳥居は新門辰五郎により奉納されたものだそうです。

2015-01-10

香取神宮 初詣 (with摂社・末社)


下総国住人として恒例の香取神宮初詣。

10日ですが、流石に参拝客は多いです。

本殿の美しさは相変わらずです。
おみくじは「吉」。お守りは、災難除守「要石」のお守りを購入しました。

さて、今回の参拝は、境外摂社・末社の制覇です。2011年に「側高神社」「大戸神社」の参拝を済ませているので、その他を廻ってみました。
その前に、要石の参拝。


そして奥宮(経津主大神荒魂)を参拝。あれだけ多くの参拝者がいるのに誰一人いません。
皆さん勿体無い。

こちらのエネルギーは、半端ないです。


ここから、香取神宮の手前すぐそばにある「摂社 又見神社」へ。

こちらは、香取神宮 ご祭神 経津主大神の子神「天苗加命 あまのなえのますみのみこと」をお祀りしています。別名「若御子神社」。
本殿右横には石室があり「又見古墳」と呼ばれています。



















朱色でありながら厳かな流造の本殿でした。

続いて香取市津宮地区にある末社「忍男神社」「沖宮」「膽男(まもりお)神社」へ。
「忍男神社」は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)をお祀りしており、「東の宮」ともいわれています。古くはここで夏越の祓を行なったそうです。

すぐそばに「沖宮」があります。
自分の影が映ってしまいました。「沖宮」は、綿津見命をお祀りしています。海の神様です。

そして「膽男(まもりお)神社」。「西の宮」と呼ばれ、大名持命(おおなむちのみこと)をお祀りしています。

香島の海は、この三社によって守り鎮められ、また監視されているのでしょう。

この三社の北に「津宮浜の鳥居」があり、
経津主大神は、海路ここから上陸されたと伝えられ、往昔の表参道口でもあります。

こちらには与謝野晶子の石碑がありました。
かきつばた  香取の神の津の宮の  宿屋に上る板の仮端 



最後に、神宮のかなり西。大栄ICの方向に摂社「返田かやた神社」あります。ご祭神は軻遇突智神(かぐつちのかみ)、埴安姫神(はにやすひめのかみ)で、こちらでは、一万灯祭が有名だそうです。「江戸時代から続く祭りで、たくさんの灯籠に火を灯し、家内安全、五穀豊穣を祈願する神事が厳かに行われるようです。

参道両脇に諸国一の宮の石の祠が並んでいます。68か国+伊勢の皇大神宮(内宮)と・豊受大神宮(外宮)を加えて合計70基あります。
本殿は、美しい一間社流造でした。

これにて、本日の充実の初詣終了です。