2012-11-10

彌彦神社

越後国一の宮「彌彦神社」を参拝。弥彦山を目の前に、かなり大きな両部鳥居が建っている。高さ30.16m。現在、第3位の大鳥居だ。(1位 熊野本宮大社 大斎原大鳥居 2位 大神神社 大鳥居)
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彌彦神社の鳥居は、「彌彦鳥居」と名付けられている。両部鳥居で、台輪の部分に屋根がつけられており独特のものである。
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駐車場から近い同じく東の鳥居にも台輪に屋根がついていた。この日は、菊まつりの開催で境内は残念ながら多くの人で騒がしかった。
一度、一の鳥居から、参拝しなおす。
左手には、神渡りの御神橋:玉の橋が見える。P1000571a
参道は、木々に包まれて神域を感じることができる。
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均整のとれた随心門を抜けると、ご社殿と正面に弥彦山が見える。
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ご祭神は、伊夜彦神(天香久山命)である。延喜式内社 名神大社の古社。
神紋は、2つありました。
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「花菱に大」
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「丸に大」の2つです。

本殿は境内からは見えにくかったので、森の方から撮影。
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立派な「三間社流造」でした。
最後に旧本殿跡に寄りましたが、こちらか一番気が張り詰めた独特の雰囲気を醸し出していました。
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2012-10-13

出雲伊波比神社

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今日は、埼玉の本庄にて会社のゴルフコンペだったので、少し早く出発し、毛呂町にある延喜式内社「出雲伊波比神社」を参拝しました。
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景行天皇の53年に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征を成し遂げ、がい旋した際、この地に立ち寄り、天皇から賜ったヒイラギの鉾をおさめ神宝とし、出雲の大己貴命(オオナムチノミコト)をまつったとされ、また、成務天皇の御代に武蔵国造兄多毛比命(エタモヒノミコト)が、出雲の天穂日命(アメノホヒノミコト)をまつり、大己貴命とともに出雲伊波比神としたとされています。
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神紋は、↑ 五七の桐でしょうか?
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↑ 三つ葉葵紋でしょうか? 
本殿は、一間社流造で、室町時代の享禄元年(1528)に再建され、現存する埼玉県内最古の神社建築物。国指定重要文化財に指定されています。
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こちらは、11月3日に行われる「流鏑馬」で有名な神社です。境内の横には流鏑馬用の一直線の道が作られていました。
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2012-09-18

稲田神社 

茨城県笠間市にある「稲田神社」に参拝。式内名神大社に比定されている古社である。ご祭神は「奇稲田姫命」.式内社で奇稲田姫命を単独で主祭神にしているのは当社だけである。
境内には、母神 手摩乳命、父神 足名椎命の宮もありました。

拝殿は入母屋造り、本殿は銅板葺き総檜流造りです。
神紋は「抱稲」と言われているのですが見当たりませんでした。「三つ巴」紋がいたるところに配置されていただけです。残念。

大国玉神社

 本日二社目は、桜川市にある常陸国式内社「大国玉神社」です。名の通りご祭神は「大国主命」です。こちらの本殿には、宝珠石が7つ納められており日本書紀神代紀に記載されている大国玉神の7つの別名が刻まれているという。大國主神・大物主神・大己貴命・葦原醜男・八千戈神・大國玉神・顯國玉神である。

小さな境内でしたが、かなり気の高い神社でした。神紋は「三つ巴」紋のようです。

本殿は、流造りでした。

高椅神社


栃木県小山市にある「高椅神社」。当社の創立は、景行天皇の四十一年、日本武尊が御東征の折、現在の白旗丘(当社北方約一粁)に御旗を立てられ、国常立尊、天鏡尊、天萬尊の三柱の神を勧請して戦勝を祈願されたのが起源であると伝えられる。
その後、天武天皇の十二年(六八四年)祭神の後裔高橋朝臣が氏祖神磐鹿六雁命を合祀して、高椅神社と尊称するに至った。現在のご祭神は、その磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)である。磐鹿六雁命は、安房国高家神社の祭神で、料理の祖神である。 参道の赤い灯籠の間を抜けてゆくと立派な楼門がある。

そして再び赤い灯籠の間を歩いて拝殿へ。

ご神紋は「五七の桐」。















本殿は、流造でした。

健田須賀神社



結城市の街中にある「健田須賀神社」を参拝。鎌倉初期に尾張国津島神社から勧請された須賀神社の場所に、式内社 健田神社が合祀されているらしい。

ご祭神は、武渟川別命と素戔嗚命で、神紋は「三つ巴」である。ちょうど、社務所と拝殿を修復されているようでした。

本殿右手のカヤの木が立派でした。

桑原神社

 結城市を八千代町方面へ南下し、一度東へ向かい鬼怒川の手前を再び南下すると「桑原神社」があります。

ご祭神は、豊城入彦命。境内案内には、桑原王の祖・豊城入彦命、天熊人を祭神としているが、他の資料では、主祭神は天熊人(天熊大人命)となっている。『式内社調査報告』では、上毛野君の同族・桑原臣の一派が東国に下り、その祖・豊城入彦命を祀ったのではないかと記されている。




















神紋は「三つ巴」紋。
本殿は、「流造り」らしい。左写真の瓦葺入母屋造妻入りの建物の中に本殿はあるのだろう。

一言主神社

 式内社ではないですが、常総地方で最も有名な「一言主神社」へ寄る。

一言主神社の社伝によると、大同四年(八〇九)現在の社殿の西方に雷光を放つ筍(たけのこ)が生え、数夜にして三岐(みつまた)の竹に成長した。不思議さに村人が行者に祈祷させたところ、一言主神の託宣があり、この地に社殿を造営し、大和国(奈良県)葛城の一言主神を迎え鎮斎したのが創祀と伝えられている。一言主神社が「三竹山」と称される所以である。

神紋は「九曜紋」です。
境内も広く、拝殿は雄壮でした。
本日、唯一「御朱印」を戴くことができました。

珍しく湧き水があり「ご神水」となっていました。銅板葺一間社流造の本殿は綺麗でした。



















茂侶神社(流山)

 最後の参拝先は、流山市に鎮座する式内社「茂侶神社」です。茂呂神社の比定社は、ここ流山、松戸・船橋、埼玉県吉川市と幾つかありますが、たぶんここが一番の比定社ではないだろうか。
「もろ」とは、御諸という説が一番有力で、三輪の大物主命がご祭神である。
街中の道路沿いにあるの小さな境内だが、神域は厳か。赤い両部鳥居は美しく、16時過ぎすでに灯籠が灯っていました。

 拝殿は、古社らしく質素な趣き。

本殿は流造。勝男木に「三つ巴」紋。

これにて7社参拝。260kmの神社巡りとなりました。

2012-08-07

砥鹿神社


伊勢・熊野からの帰り道 豊川市にある 三河一宮 「砥鹿神社」に参拝しました。これにて47社目の一の宮です。ご祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)。本宮山に奥宮がありますが、今回は里宮本社のみの参拝です。

神紋は「亀甲に亀卜」紋と独特の神紋です。




















本殿は檜皮葺きの流造のようです。











当社には、境内摂社に二宮社・三宮社がありました。

二宮・・・事代主命
三宮・・・建御名方命
をお祀りしています。












そして、境内入口近くに摂社「アラハバキ神社」がありました。たぶんこの神様が元の神様であり、その神を追い出した建御名方命(三宮)が、その後の主祭神ではないかと推察します。建御名方命は、ここから北上し諏訪へ至ったのではないでしょうか。












アラハバキ神社が中部地区にあるのは大変珍しいことのようです。

2012-08-06

熊野那智大社

朝8時半、「熊野那智大社」を参拝。社殿は5つある。
ご祭神は、
第一殿  滝宮    大己貴命(大国主神)
第二殿  証誠殿  家都御子神(素戔嗚尊)
第三殿  中御前   御子速玉神(伊弉諾尊)
第四殿  西御前   熊野夫須美神(伊弉冉尊)
第五殿  若宮    天照大神         である。
神紋は、三つ巴紋です。那智大社では、「熊野夫須美大神」を主祭神とする。が、やはり真の主祭神は、別宮飛瀧神社として祀られている「那智の瀧」ではなかろうか。境内には、立派なご神木。樹齢800年の大樟です。平重盛の手植えと言われています。


第六殿である「八社殿」は修復中でした。見事な八間流造りです。手前に八咫烏の像もありました。