2013-02-25

鶴谷(つるがや)八幡宮

今日は、お休みを利用して、まだ行けていない「安房国式内社」を5社ほど参拝して来ました。
その前に、途中にある館山の「鶴谷(つるがや)八幡宮」にも寄りました。

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平安時代初期、国府近くの三芳村府中(現在の南房総市)に安房国総社として創建された。安房国一の宮安房神社をはじめ年に一度、国内諸社が参集して盛大な大祭がひらかれた総社としての格を誇っていたが、源頼朝が幕府を開いて諸国に守護・地頭を設置するようになって以降、国司の権勢は衰え、総社の崇敬も衰退していった。源氏は八幡大神を氏神として崇敬しており、遂には総社も八幡宮と改称され、鎮座地も鶴岡八幡宮に模したように海辺を望む現在地に移転したという。
境内には、安房神社遥拝殿があります。
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ご神紋は、「三つ巴」ではなく、「五七の桐」でした。
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本殿は「三間社流造」のようです。
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下立松原神社(白浜町)、天神社

さてここからが「式内社」巡りです。まずは館山を跡にして、南へ一直線。房総半島の一番南からスタートして北上して行きます。
下立松原神社です。この神社は論社が二社あります。まずは「白浜町」からです。ここには式内社「天神社」が合祀されていますので、一度に二社参拝できます。
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ご祭神は、天日鷲命(あめのひわしのみこと)です。安房国の古社は、阿波忌部氏の神様が祀られていることが多く、こちらも忌部氏の祖神をお祀りしています。また、天太玉命・天富命・伊弉諾命・伊弉册命も合わせて主祭神とし、阿八別彦命・須佐之男命を配祀するほか、近隣の神社の合祀により以下の18柱の神も祀っている。 P1000958a
境内は、思った以上に広く、鳥居から拝殿までかなりあります。静かな佇まいの神社です。
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ご神紋は「五瓜に唐花」紋です。どうしてでしょうか?後ほど調べなければ。
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本殿は、庇を持つ神明造りのようです。


昭和初期に合祀された天神社(式内社)は、本社拝殿向かって右手に並んで作られていました。
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下立松原神社(千倉町)

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千倉にある「下立松原神社」です。正面に杉の大木が二本そびえ、その奥に社殿が見える。杉の木が「鳥居」の役目となっているようです。こちらのご祭神は、天日鷲命とともに、木花開耶姫命 月夜見命となっています。 拝殿がなく本殿は覆屋になっておりました。
こちらの神紋は「三つ巴」です。  
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境内を左へ歩くと、経塚や、頼朝公馬洗池跡がありました。

高家神社(たかべ)

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式内社「高家神社」は、「料理の祖神」を祀る神社として有名です。そのご祭神は、磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)です。 大彦命の孫と伝えられ、日本書紀によれば、景行天皇は皇子・日本武尊の歿後、その東征の縁の地を歴訪したが、安房国の浮島宮に行幸したとき、侍臣の磐鹿六雁命が堅魚と白蛤を漁り、膾に調理して天皇に献上した。 天皇はその料理の技を賞賛し、磐鹿六雁命に膳大伴部の姓を与え、その子孫の高橋氏は代々宮中の大膳職を継いだ。 磐鹿六雁命は宮中・大膳職の醤院で醸造・調味料の神「高倍神(たかべのかみ)」として祀られていたようです。 境内には「包丁塚」があります。 P1000975a
拝殿は、非常に美しい茅葺屋根をもちます。
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神紋は「三つ巴」のようです。
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本殿は、神明造りのようです。もともと「神明社」だったようです。
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莫越山神社(なこしやま) (沓見)

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莫越山神社です。こちらも論社が二社あります。まずは、沓見の神社へ。
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ご神木のシイの木が見事です。
こちらのご祭神は、手置帆負命(たおきほおいのみこと)と 彦狹知命(ひこさしりのみこと)です。手置帆負命は、讃岐忌部氏の祖であり、彦狹知命は、紀伊忌部氏の祖です。太玉命の率いる五神の中の二柱。
(ちなみに、下立松原神社の祭神も五神の一柱である天日鷲命:阿波忌部の祖)
また、手置帆負命は「笠・矛の製作者」で、彦狹知命は「盾の製作者」と言われています。
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靖国鳥居の奥に神明造りの拝殿・本殿があります。
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ご神紋は、「五七の桐」紋でした。
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莫越山神社(宮下)

もう一つの式内社論社 宮下にある莫越山神社です。
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鳥居の先にある境内の後方が<莫越山>です。
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鎮守の森といった感じの佇まいです。ご祭神は、同じく 手置帆負命 彦狹知命 です。莫越山山頂には奥宮があるそうです。
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本殿は、覆屋の中にあるのでしょう。確認できませんでした。
こちらの神紋は「五三の桐」のようです。
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覆屋後方に、見事なご神木がありました。
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2013-02-02

出雲乃伊波比神社(寄居)

本日は、関越道「本庄児玉」近くでゴルフ。いつものように早く出かけて神社参拝をして来ました。花園ICを降りて、寄居町(男衾郡)にある式内社論社を3社。そして本庄児玉付近の1社です。
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まずは、「出雲乃伊波比神社(寄居)」へ。ご祭神は、なぜか須佐之男命と三穗津姫命、天照大神、誉田別命、天児屋根命他とある。
出雲乃伊波比神社という名前のわりに伊波比主神(経津主神)が祀られていないのが不思議だ。
調べてみると、武蔵国造物部氏の氏神を祀る神社であったが、源頼義が奥州征討の戦勝祈願を行ったとされることから八幡社として崇敬されるようになり、明治三十三年に本来の名前に改称されたとある。武蔵国造物部氏の氏神を祀る神社であったのだから、やはり元は、出伊波比主神(経津主神)を祀っていいたのであろう。
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参道はまっすぐ北に伸びています。両脇を木立が囲んでいます。
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本殿は、一間社流造のようです。
神紋は「三つ巴」紋。

小被神社(寄居)

次に小被(おぶすま)神社。先ほどの出雲伊波比神社の近くに鎮座しています。
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ご祭神は、邇邇藝命(ニニギ命)・木花佐久夜毘売命(コノハナサクヤ毘売命)・穂穂手見命(ホホデミ命)のようです。
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第27代安閑天皇の時に、土地の豪族富田鹿(とみたろく)が地主神である小被神を祀ったことにはじまるという。恐らくは男衾郡の部民を支配した壬生氏の祭祀する神社だったようです。森の奥に、小さな拝殿はありました。

稲乃比売神社(寄居)

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稲乃比売神社です。ご祭神は、稲乃比売命・素盞嗚命・稲田姫命・大己貴命・少彦名命。靖国鳥居と、脇に自然石の大きな社号標、木々の茂った境内には社殿と末社のみが建っている、小規模な神社でした。

みか神社

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ミカ神社と読むようです。那珂郡唯一の式内社です。ご祭神は、櫛御気野命(クシミケヌ命)・櫛ミカ玉命(クシミカタマ命)です。
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鳥居をくぐって左手(北)に拝殿・本殿はあります。
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那珂郡は上野国と深い交流にあり、神池である「摩河の池」を中心に古代祭祀が行われていたのでしょう。周辺には古墳群も多数あり、埴輪窯跡・竪穴住居跡なども発掘されています。当社の祭祀集団は神酒づくりにかかわる土器=ミカを製作した集団であったとされます。「ミカ」とは酒をかもすのに用いた大型の甕のことで、当社に御神宝とされていた土師器が保存されている。これが転じて当社は酒の神としても崇敬しているようです。
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本殿は、美しい流造でした。