2015-03-05

八幡宮来宮神社

「八幡宮来宮神社」を参拝。伊東市の南側 伊豆高原駅近くに鎮座しています。式内社 伊豆國賀茂郡 伊波久良和氣命神社 論社です。銅製の鳥居の奥に朱色の神門(冠木かぶぎ門)があります。お城や武家屋敷に多く見られるもので神社には珍しいかもしれません。
神紋は「丸に矢じり付き違い矢」紋。
八幡宮としての「三つ巴」紋もあります。来宮神社・八幡宮との合祀によるものでしょう。
ご祭神は誉田別命(八幡宮)と伊波久良和気命(いわくらわけのみこと)(来宮神社)です。

境内に入ると驚きに包まれます。凛とした空気の中、境内全体が斜面に造られており、境内イコール参道といった雰囲気です。

拝殿左手には、巨木の杉の木が目を見張ります。
本殿は、二間社流造のようですが、覆屋に覆われており写真には撮れませんでした。
二間社は珍しいですが、理由は向かって右に八幡宮、左が来宮が 祭られているからと思われます。
参拝者は誰もいませんでしたが、ここは、神社好きにはたまらない空気感をもった素晴らしい神社でした。

2015-01-11

浅草神社

浅草神社参拝してきまいた。なんと初「浅草神社」です。

ご祭神は、土師真中知(はじのあたいなかとも)命・檜前浜成(ひのくまはまなり)命・檜前武成(ひのくまたけなり)命です。

推古天皇36年(628年)、檜前浜成・武成の兄弟が隅田川で漁をしていたところ、網に人形の像がかかった。 兄弟がこの地域で物知りだった土師真中知に相談した所、これは観音像であると教えられ、二人は毎日観音像に祈念するようになった。 
その後、土師真中知は剃髪して僧となり、自宅を寺とした。これが浅草寺の始まりである。 
土師真中知の歿後、真中知の子の夢に観音菩薩が現れ、そのお告げに従って真中知・浜成・武成を神として祀ったのが当社の起源であるとしている。
 
明治の神仏分離により浅草寺とは別法人になり、明治元年に三社明神社に改称、明治5年に郷社に列し、明治6年に現在の浅草神社に改称されました。
さすが三連休。浅草はかなりの人手。参拝もかなりの行列でした。

三社祭り(毎年5月)の神輿。豪華絢爛です。

神紋は「三つ網」紋。

本殿は、関東のお膝元だけに権現造です。
本殿右奥には「被官稲荷神社」がありました。被官稲荷神社正面の鳥居は新門辰五郎により奉納されたものだそうです。

2015-01-10

香取神宮 初詣 (with摂社・末社)


下総国住人として恒例の香取神宮初詣。

10日ですが、流石に参拝客は多いです。

本殿の美しさは相変わらずです。
おみくじは「吉」。お守りは、災難除守「要石」のお守りを購入しました。

さて、今回の参拝は、境外摂社・末社の制覇です。2011年に「側高神社」「大戸神社」の参拝を済ませているので、その他を廻ってみました。
その前に、要石の参拝。


そして奥宮(経津主大神荒魂)を参拝。あれだけ多くの参拝者がいるのに誰一人いません。
皆さん勿体無い。

こちらのエネルギーは、半端ないです。


ここから、香取神宮の手前すぐそばにある「摂社 又見神社」へ。

こちらは、香取神宮 ご祭神 経津主大神の子神「天苗加命 あまのなえのますみのみこと」をお祀りしています。別名「若御子神社」。
本殿右横には石室があり「又見古墳」と呼ばれています。



















朱色でありながら厳かな流造の本殿でした。

続いて香取市津宮地区にある末社「忍男神社」「沖宮」「膽男(まもりお)神社」へ。
「忍男神社」は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)をお祀りしており、「東の宮」ともいわれています。古くはここで夏越の祓を行なったそうです。

すぐそばに「沖宮」があります。
自分の影が映ってしまいました。「沖宮」は、綿津見命をお祀りしています。海の神様です。

そして「膽男(まもりお)神社」。「西の宮」と呼ばれ、大名持命(おおなむちのみこと)をお祀りしています。

香島の海は、この三社によって守り鎮められ、また監視されているのでしょう。

この三社の北に「津宮浜の鳥居」があり、
経津主大神は、海路ここから上陸されたと伝えられ、往昔の表参道口でもあります。

こちらには与謝野晶子の石碑がありました。
かきつばた  香取の神の津の宮の  宿屋に上る板の仮端 



最後に、神宮のかなり西。大栄ICの方向に摂社「返田かやた神社」あります。ご祭神は軻遇突智神(かぐつちのかみ)、埴安姫神(はにやすひめのかみ)で、こちらでは、一万灯祭が有名だそうです。「江戸時代から続く祭りで、たくさんの灯籠に火を灯し、家内安全、五穀豊穣を祈願する神事が厳かに行われるようです。

参道両脇に諸国一の宮の石の祠が並んでいます。68か国+伊勢の皇大神宮(内宮)と・豊受大神宮(外宮)を加えて合計70基あります。
本殿は、美しい一間社流造でした。

これにて、本日の充実の初詣終了です。

2014-10-26

下御霊神社


2日目は、「下御霊神社」よりスタート。
大同二年(809)、不運の内に亡くなった 伊予親王(桓武天皇の皇子)とその母の藤原吉子の霊を慰めるため 承和六年(八三九)に仁明天皇によって創建されたという。
現在は、八所御霊(吉備大臣:吉備聖霊  崇道天皇:桓武天皇皇太子早良親王  伊豫親王:桓武天皇皇子、贈一品  藤原大夫人:伊豫親王御母、贈従二位藤原吉子命  藤原大夫:藤原廣嗣命  橘大夫:贈従四位下橘逸勢命  文大夫:文屋宮田麻呂命  火雷天神:菅原道真)をお祀りしている。

すなわち、平安時代に冤罪を被り亡くなられた貴人の方々の怨霊を御霊(ごりょう)として、お祀りしている神社なのです。 疫病災厄を退散し、朝廷と都をお守りする神社として崇敬されてきました。
神紋は「花沢瀉(はなおもだか)に水」という紋です。


京都御苑内 厳島神社


京都御所を取り囲む「京都御苑」の中には、いくつかの神社があります。南東部の旧九條家邸内の拾翠池の傍に「厳島神社」があります。
ここに、京都三珍鳥居の一つ「唐破風鳥居」を撮影に来ました。
京都三珍鳥居は、太秦にある蚕の社境内の三鳥居(みつどりい:三柱鳥居みはしらとりい)、ここ京都御苑の厳島神社の鳥居、北野天満宮の伴氏社の鳥居です。
あとで、北野天満宮の伴氏社も撮影に行きます。
島木と笠木が唐破風の形をしています。大阪生駒にある石切剣箭神社の大鳥居も確か「唐破風の鳥居」だった気がします。


護王神社



別格官幣社「護王神社」を参拝。蛤御門を出て、すぐ南側にあります。
ご祭神は、「和気清麻呂」公とその姉「和気広虫姫」です。

和気清麻呂と姉の広虫は、宇佐八幡宮神託事件の際に流刑に処せられながらも皇統を守りました。孝明天皇はその功績を讃え、嘉永4年(1851年)、和気清麻呂に護王大明神の神号と正一位という最高位の神階を授けた。明治7年(1874年)、護王善神堂を神社として護王神社に改称し、現在の場所に。
こちらの境内は、とにかく「イノシシ」だらけ。
和気清麻呂が宇佐へ配流の際に、道鏡から送り込まれた刺客に襲われたのを、突如現われた300頭の猪によって難事を救われたとの伝説から「いのしし神社」の俗称をもちます。
京都では、足腰の神様として広く親しまれている神社のようです。

神紋は「対い四つ藤」紋です。

白峯神宮


「白峯神宮」参拝。崇徳天皇・淳仁天皇を祀る。旧官幣大社です。社地は、蹴鞠の宗家であった公家・飛鳥井家の屋敷の跡地で、摂社の地主社に祀られる「精大明神」は蹴鞠の守護神でありことから、現在ではサッカーのほか、球技全般およびスポーツの守護神とされ、サッカーをはじめとするスポーツ関係者の参詣も多く、社殿前にはサッカーやバレーボールの日本代表チームや、Jリーグに所属する選手などから奉納されたボールなどが見られます。
神紋は、「十六菊」紋。


本殿は、流造のようです。少し見えにくかったです。
神宮らしく、右近の桜、左近の橘がありました。