2012-08-05

伊勢神宮5 内宮


五十鈴川の清流にかかる宇治橋(全長101.8m、巾8.421mで、欄干の上に16基の擬宝珠(ぎぼし)を据えた純日本風反(そ)り橋で檜(ひのき)で作られています)を渡ると参道は深い森につつまれ、静かで神々しい空気を感じます。                                          


                    参道の右手のゆるやかな斜面を下りていくと、元禄5年(1692年)徳川綱吉の生母、桂昌院が寄進したものといわれる石畳を敷き詰めた五十鈴川岸の御手洗場にでます。神路山を水源とする神路川と、島路山を源とする島路川の二つの流れが、合流して五十鈴川となります。神域の西側を流れる五十鈴川は別名「御裳濯(みもすそ)川」と呼ばれ、倭姫命(やまとひめのみこと)が御裳のすそのよごれを濯がれたことから名付けられたという伝説があります。





参道の左側、銅板葺・入母屋造の建物で、「神楽殿」「御饌(みけ)殿」「御神札授与所」があります。ここで、1頁開けていた場所に「内宮」の御朱印をいただきました。















いよいよ正宮へと歩いてゆきます。

「正宮」ももちろん外宮「正宮」と同じく中の撮影は禁止です。垂仁天皇26年にご鎮座されてから、2000年。4重の御垣に囲まれた一番奥にあるご正殿に、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)がお鎮まりになっています。

三十段あまりの石段の上を見上げると 御正宮が見えます。 そして右手には、H25年に遷宮される「新御敷地」があり、現在は封鎖されておりました。




















正宮を後にして、天照大神の荒御魂をお祀りしている別宮「荒祭宮」へと向かいます。


荒祭宮は、内宮に所属する10別宮のうち、第一に位しています。荒祭宮の社殿は内宮に準じ内削ぎの千木と、6本で偶数の鰹木を持つ萱葺の神明造で南面しています。こちらは本当にパワーを感じます。
参道に戻り、内宮神楽殿前から南方へ向かうと風日祈宮橋(かざひのみのみやばし)で五十鈴川支流の島路川を渡った先に風日祈宮があります。
ご祭神は外宮(豊受大神宮)別宮の風宮と同じ級長津彦命・級長戸辺命です。
 風日祈宮と風宮は、1281年(弘安4年)の元寇では朝廷より二条為氏大納言が勅使として神宮に派遣され、風神社と風社で祈祷を行ないました。日本に押し寄せた元軍は退却し日本にとっての国難は去り、これを神風による勝利として1293年(正応6年)に風神社と風社は別宮に昇格したのです。

最後に、神宮司庁庁舎の手前にある大山祗神社・子安神社に参拝し内宮を後にしました。大山祗神社は、神路山の守り神であり、古くは山神社とよばれていました。

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