2010-07-31

麻賀多神社 奥宮・大宮

今日は、先日 81の自己ベストを出した「成田フェアフィールド」でプレー。しかしドライバー全くとい行っていいほど駄目。左肩が最近痛いという言いわけを割いびいても酷過ぎた。また、暑さから集中力も途切れがち、45:46の91とまたも80台にとどかず。しかし、真夏のゴルフは過酷だ。

さて、帰りに成田にある式内社をお参りして帰宅した。「麻賀多まかた神社」。奥宮と大宮と二つある。まずは、「奥宮」を参拝。ご祭神は「稚産靈命 ワクムスビノミコト」。神産みの際、火の神・火之迦具土神(カグツチ)を生んで火傷をし病に伏せった伊邪那美命(イザナミ)がしたゆまり(尿)から生まれたとされる(古事記で)。穀物・養蚕の神だ。
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ご神紋は、一目瞭然の「巴紋」しかし、これからいく大宮は、「麻の葉」なのだが、どうして「奥宮」は巴なのか?公津原古墳群(39号墳 分墳)と呼ばれる印旛国造・伊都許利命の墳墓が境内にある。その看板を見ると「伊都許利神社社務所」とある。奥宮は、伊都許利命(神武天皇の皇子神八井命の8代目の御孫)とかなり関係が深いのだろう。
伊都許利命は杉の木の下から7つの玉を掘り出し、それを神体として和久産巣日神を併せ祀ったらしい。この2神は「真賀多真(勾玉)の大神」と呼ばれた。さて奥宮をあとにして「大宮」へ。

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こちらは、今日行われる「例祭」の準備に忙しそうだった。拝殿前には神輿が。
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神紋もしっかり確認した。まさに「麻の葉」紋。
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当社のご自慢は、なんと言っても「東日本一」と謳われる大杉のご神木だろう。
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確かにすばらしい。
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由緒
今から約千三百七十年前 (聖徳太子時代)現在の稷山に新 たに宮殿を建て麻賀多大宮殿と 称された、此の大杉は其の当時に 植えられたもので太さ八m高さ四十m 餘りで其のお姿は誠に威容 其のものであります正に東日本一と 云われる此の大杉(御神木)は遠い遠い 昔の日本の歴史を物語ると共に かつ多くの伝説を秘めた此の年輪の 雄大さは千古不動の御神威と 御神徳が示されて居ります今日では 特に不老長寿祈願の御神木として 崇拝され昔から多くの祈願が行なわれ 大願成就前には稍えより霊光が輝き 神のお告げがあると云い傳へられて居ります

2010-07-19

安房神社・洲崎神社

安房国には、一之宮が二つある。1つは、「安房神社」もう1つは「洲崎神社」。安房国は、その昔、四国の忌部一族が海を渡って住み着いたとされており、その始祖神である「天太玉命アメノフトダマノミコト」とその后である「天比理刀咩命アメノヒリキメノミコト」をそれぞれの神社が祭祀している。さて渋滞覚悟で、館山方面へかみさんとでかけたが、さほど混むこともなくあっさり館山へ。嬉しい誤算。さてまずは「安房神社」へ。020
まっしろな「神明鳥居」が印象的だ。安房神社は、上の宮と下の宮のニ宮が境内にある。上の宮のご祭神が「天太玉命」で下の宮は、安房に渡った「天富命」である。
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神紋は「菊花」紋と「陰酢漿草紋」だが、建物には「菊花」紋しか使われていないようだ。お札売り場の幕に「陰酢漿草紋」があったので撮影させてもらった。 *酢漿草・・・かたばび
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続いて、「布良崎神社」へ寄った。ここは、元の安房神社があった場所だ。神社そのものは、寂れて規模も小さいが、写真をご覧あれ!!
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ニの鳥居、一の鳥居、広がる海、そしてその先には少し雲に隠れていますが「富士山」。(クリックして拡大すると見えるかな?)しかし、あの電柱はどうしようもない。T電力さん ありえない無作法さです。
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ご祭神は天富命。後に須佐之男尊、金山彦尊を合祀しているらしい。布良崎神社の大神輿は須佐ノ男尊(すさのおのみこと)を祭り、神輿「大天皇様」と呼ばれているそうです。



さてもう一つの一之宮「洲崎神社」へ
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「洲崎神社」本殿は、めちゃめちゃ急な階段を登ったところにあります。そして後方の御手洗山全体が神域である。神紋は「十六菊」紋のようです。
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そして、ここも参道が海へ続いているのです。
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ご朱印をもらう合間に砂浜へ行ってみました。
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海に向かって神明鳥居がたち、やはりその向こうに「富士」が。
再び感動[E:think]

2010-07-03

相模国一之宮 寒川神社

今日は、神奈川県 厚木インターから北へ40分程いった「長竹カントリー」というところでプレーをした。ゴルフは、45:46=91と久しぶりの90台と精彩をかいた。

せっかくこちらまで来たので、帰りに「相模国一之宮 寒川神社」へ参拝。
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現在のご祭神は、寒川比古命 寒川比女命。しかし、実はこの祭神は大正時代に確定されている。本来のご祭神はどなたなのか?不明らしい。神紋の三つ巴からすると、八幡神かスサノオが本来のご祭神かもしれない。比女が配祀されている点からみると、スサノオ・櫛稲田姫というペアが妥当だろうか。

一の鳥居から1km北へ参道が伸びており、現在の境内は三の鳥居と石橋(上写真)から始まる。
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夕方の優しい風が抜ける両脇の木々を抜けてしばらくすると、見事な楼門が目に飛び込んでくる。
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楼門をくぐると、東西の回廊をもつ、拝殿・本殿(権現造り)が目の前に。
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本殿は、珍しく西南を向いていた。東京の裏鬼門を護っているかのようだ。
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そもそも「寒川神」とはなんなのか?神紋の「流れ三つ巴」からすると、やはり水神との説が正しい気がする。