2011-01-30

調神社(つきじんじゃ)

ウサギ年にちなんで、「調神社」にも参拝。まずは、狛犬ならぬ「狛兎」が迎えてくれる。

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そして手水舎も「うさぎ」。大きすぎて怖い。

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ご祭神は、天照皇大神、豊受気姫命、素戔嗚尊の三柱。地元では「つきのみやさま」と呼ばれている。調とは、租庸調の「調」で元々は、朝廷への貢物{調}の倉庫群があり、そのために、当社には出入りの邪魔になるという事で「鳥居」がないのが特徴だ。神紋は「十六弁菊に三つ巴」紋という贅沢な紋であった。

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拝殿にも、兎の彫刻があり、境内の池にも兎。まさに兎づくしの神社であった。

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氷川神社

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今日は、天気もいいので大宮の氷川神社参拝に出かけた。自宅から車で飛ばして1時間。意外に近かった。言わずと知れた武蔵一之宮。日本の王「素戔嗚尊」を祀る名神大社。氷川とは、出雲肥河(斐伊川)から来ており、出雲大社からの勧請による。出雲大社が、本当は誰を祀っていたかそのことからもわかる。参道を進むと、神橋の向こうに美しい楼門が見えてくる。

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本殿は、流造。ご神紋は「八雲紋」。

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そして、境内の右端に「門客人(まろうど)神社」がある。現在のご祭神は「足摩乳命・手摩乳命」となっているが、この二神(稲田姫の親)が「門客人」であるはずがない。元々、この神社は、関東より北に土着していた「アラバマキ荒脛神」を祀っていたらしい。そして、元の神様を「門客人」として祀っているのだ。

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大宮氷川神社(男体社)は、大宮の見沼原に鎮座しているのだが、その南東に「中山神社(簸王子社)」「氷川女体神社(女体社)」のニ社がある。この三社を総称して、氷川神社ともいう。この三社は、一直線でむすばれており、その先に「浅間山」がある。冬至の線だ。そして「氷川神社」は、さらに筑波山-富士山の交差点でもある。すばらしい。

「中山神社」「氷川女体神社」にも参拝した。

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中山神社の鳥居の額束には「氷川神社」とある。こちらは、大己貴を祀っている。

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末社には、ちゃんと「荒脛神社」が。

そして「氷川女体神社」。こちらも現在、武蔵一之宮となっている。

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相当に荒れた感じだが、鳥居は、ご祭神「稲田姫」らしく真っ赤だ。こちらの賽銭箱には見事な「八雲紋」があったのでパチリ。

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2011-01-29

品川神社・荏原神社

品川駅より少し南に鎮座する、「北の天王社」「南の天王社」と呼ばれた「品川神社」と「荏原神社」を参拝。
品川神社は、安房国の洲崎神社から天比理乃咩命を勧請して祀られており、現在では「東京十社」の一つである。
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鳥居がおもしろい。左右の柱に龍が巻きついているというめずらしいもの。
ご神紋は、「三つ葉葵」紋。徳川家の庇護がうかがわれる。
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そして「荏原神社」。境内入口のご神木の緋寒桜がまず目を引く。1月だと言うのに綺麗に満開。
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そしてなんといっても拝殿の庇の左右からの龍。
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当社は、丹生川上神社より高龍神(龍神)を勧請し、長元2年(1029年)神明宮、宝治元年(1274年)京都八坂神社より牛頭天王を勧請、古より品川の龍神さまと呼ばれているのだ。神紋は「三つ巴」のようです。

都内は「式内社」は少ないが良い神社がたくさんあるようです。

妻恋神社

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神田明神と湯島天神の間に小さな神社「嬬恋神社」がある。ご祭神は、日本武尊とその妻 弟橘媛命。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の際、三浦半島から房総半島へ渡る際、大暴風に遭い、妃の弟橘姫がその身を海に投げ込んで海神を鎮め、尊の一行を救ったという伝説がある。途中、尊が湯島に滞在して郷民は尊の妃を慕われる心を憐れんで、尊と妃を祀ったといわれる由緒ある神社だ。 

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ご神紋は、たいへん珍しく「檜扇(ひおうぎ)に御の字」紋。境内手前には、妻恋稲荷と呼ばれる稲荷神社もあった。

2011-01-08

亀有香取神社

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亀有にある香取神社を参拝。御覧の通り、狛犬ならぬ狛亀が参拝者を迎えてくれる。ご祭神はもちろん、経津主命。漫画「コチカメ」にも登場する神社で、両さんの銅像も建っている。

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本殿は、美しい流造であった。



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2011-01-04

靖国神社

二度目の靖国参拝。本日は、初めて靖国神社にて昇殿参拝をしてまいりました。ご本殿に入らせていただくという貴重な体験です。靖国の本殿は、「神明造り」でしたが、正面に珍しく庇があり驚きました。千木・鰹木は、外削ぎ・奇数7本で男神形式でした。ご神紋の「菊に桜」は、お賽銭のところにしかなく、建物はすべて「十六八重菊」のようです。おみくじには、「菊に桜」紋がついておりました。

Yasukuni

撮影できなかったので、靖国WEBより掲載

やはり日本人なら、知覧と靖国神社へはいかないと。それは「右」とかそんなのではなく。失われた日本人の精神とか矜持を知るため、命の尊さを知るために。