2014-03-22

晴明神社 (京滋旅行3日目)

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本日3社目は、「晴明神社」です。鳥居の扁額にはご神紋の「安倍晴明判」の五芒星が。
もちろん、ご祭神は「安陪晴明」です。一条戻橋のたもと(北西)にあった晴明の屋敷跡に鎮座しています。その一条戻橋もこちらに。先代の橋で使われていた欄干の親柱を境内に移し、昔の風情をそのままに「一條戻橋」を再現しています。 P1030566
源頼光の四天王の一人、渡辺綱が 鬼女の腕を切り落とした場所ですから、橋の脇には、「鬼女」がいますね。 晴明公が念力により湧出させたという井戸がこの晴明井です。P1030571
病気平癒の信仰があり、湧き出す水は現在でも飲んで頂いていいそうです。 P1030579
拝殿の随所に五芒星があしらわれていました。 そして、縁起が良いとされる厄除けの桃の像もあります。 最近は、人気のパワースポットですから多くの参拝客が訪れていました。P1030580

北野天満宮 (京滋旅行3日目)

京滋旅行 最後の参拝は「北野天満宮」です。言わずと知れた菅原道真公をお祀りする神社です。北野天満宮は、当然梅で有名。この日も大勢の参拝客です。
P1030586 相殿東座には中将殿(道真嫡男)と相殿西座には吉祥女(道真妻)を配祀しています。 P1030593
梅は、真っ盛りで境内いたるところで咲いていました。
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参道を進むと、天満宮の扁額が架かった楼門があります。
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そして、ご本殿です。権現造です。
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ご神紋は、おなじみの「星梅鉢」紋と、もう一つ「荒枝付き三階松」紋という変わった紋が使われています。
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十分に梅を堪能してきました。
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2014-03-21

木嶋坐天照御魂神社 (京滋旅行2日目)

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2日目最初に訪れたのは、「木嶋坐天照御魂神社」。知る人ぞ知る(まあほとんど知らないですね)式内社です。ここが何故、神社通に有名なのかというと<鳥居>です。
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「三柱鳥居(みはしら)」といいます。本殿左側にある「元糺の池(もとただすのいけ)」の中に建てられていました。
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境内は、小さいながらも凛とした雰囲気があります。ご祭神は、天御中主命・大国魂神・穂々出見命・鵜茅葺不合命とされています。たぶん元はその名の通り「天照御魂神」を祀っていたのでしょう。ただ、「天照御魂神」とは? 諸説あるようです。ここが私の研究の発端です。 P1030330
神紋は「加茂葵」紋のようです。本殿東側に織物の始祖(秦氏)を祀る蚕養(こかい)神社があることから蚕の社(かいこのやしろ)の通称が広く知られています。

梅宮大社 (京滋旅行2日目)

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本日2社目は「梅宮大社」です。ご祭神は酒解神、大若子神、小若子神、酒解子神の四座、式内神で 二十二社に列し、もと官幣中社であった。橘諸兄の母縣犬養三千代の 創建といわれ、古くは橘氏の氏神です。こちらの四神ですが、酒解神(大山祇神(おおやまつのかみ))の御子酒解子神(木花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと))は大若子神(瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)) と 一夜の契りでやがて小若子神(彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと))をお生みになった。 そこで姫は歓喜して狭名田(さなた)の稲をとって天甜酒(あめのうまざけ)を造り、 これを飲まれたという神話から安産と造酒の神として古くから有名です。
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神門の右手に梅。
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左手に橘が植えられています。
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境内にも、見事な紅白梅。
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ご神紋はそういうわけで「橘」紋。
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本殿は、拝所が設けられ、その奥に屋根だけが見えます。流造だそうです。
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境内右手には、大きな池をもつ庭園がありました。

松尾大社 (京滋旅行2日目)

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3社目は「松尾大社」です。こちらも、式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社で、旧官幣大社。ご祭神は、渡来人の秦氏が山城国一帯に居住し、松尾山の神(大山咋神)を氏神としたことから、大山咋神(おおやまくいのみこと)です。
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参道を抜けると、風格ある楼門が見えてきます。
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ご神紋は、秦氏由来の「二重葵」紋です。
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本殿は、「松尾造」といわれる独特の社殿です。
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両流造で、曲線を持った美しい屋根が、前後両方向に同じように長く伸びているものです。前の方だけが後ろの方より特に長い場合は、流造りと呼び、全国神社の本殿に一番多い形式ですが、この前後に同形で長く伸びた両流造りはごく少なく、他では厳島神社(広島県)と宗像大社(福岡県)に伝えられているぐらいで、それ故「松尾造」の別名があります。桁行(けたゆき)三間(正面の柱が三つ)、梁間(はりま)四間(側面の柱が四つ)、一重(一階建)、檜皮葺(ひわだぶき)です。<三間社両流造>
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こちらでは、絵馬の代わりに「しゃもじ」が使われるそうで、境内のいたるところに「しゃもじ」がありました。調べると願い事が「すくわれる」という意味だそうです。納得。

月読神社 (京滋旅行2日目)

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松尾大社摂社「月読神社」です。松尾大社の南に位置し、顕宗三年(四八七)阿閉臣事代によって、壱岐から勧請されました。ご祭神は、もちろん「月読命」。月読神社が京都へもたらされるにあたって は渡来系氏族、なかでも山城国と深く関係す る秦氏が関わった可能性が強く、古代京都の 神祇信仰やまた渡来文化を考える上で重要な 意味をもつ神社であるといえます。延喜式では名神大社の一つに数 えられる式内社でもあります。
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本殿にも鳥居と同じく「月読大神」の扁額があります。
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一間社流造です。
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末社には珍しく「聖徳太子社」がありました。

車折神社 (京滋旅行2日目)

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古代史研究のための神社探訪とは、あまり関係ない神社ですが、話のタネに参拝しました。
ご祭神は、清原頼業(きよはらのよりなり)公。頼業は、学問で有名な清原氏の出であり、自身も平安時代後期の著名な漢学者・儒学者です。大外記の職を長年務め、晩年には九条兼実より政治の諮問を受け、兼実から「その才、神といふべく尊ぶべし」と評された人物です。社名の「車折」については、ある人が牛車に乗ったまま社前を通った所、突然車が裂けてしまったためとも、後嵯峨天皇の大堰川遊幸の際、社前で突然車が前に進まなくなったので、不思議に思って社の者に問うた所、頼業公を祀ると答えがあったので、還御の後に「車折大明神」の神号と正一位の神階を贈ったためともいう。 P1030391
こちらが有名なのは「芸能神社」が境内社にあり、ここを多くの芸能人が参拝し玉垣を治めているからです。
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想像以上に多くの玉垣が所狭しとあります。
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男気の面々もありました。
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車折神社の神紋は「丸に一」紋と桜紋のようです。

石清水八幡宮 (京滋旅行2日目)

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石清水八幡宮です。京都の南 八幡市に位置します。清和天皇貞観元年(859)、南都大安寺の僧行基が、「吾、王城近き石清水男山の峯に移座して国家を鎮護せん」という豊前宇佐八幡の託宣を蒙り、まず、現在の離宮八幡宮の地に至り、その後朝廷より宣旨を受けた橘良基が当地に六宇の社殿を建立されました。
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本殿へは、ケーブルカーで登ります。山頂駅から程なく歩いてゆくと、有名な八幡鳥居が待ち受け待ています。
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そして、石灯籠に長い参道。
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その先に南総門。
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そして境内へ。
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楼門をもつ拝殿は、荘厳です。
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賽銭箱には、八幡宮お決まりの神紋「三つ巴」紋です。本殿は、残念ながら見ることはできませんでした。
そのかわり、男山からは、京都方面が一望できました。
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磐船神社 (京滋旅行2日目)

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2日目最後に参拝したのは、大阪 交野市にある「磐船神社」です。かみさんが、大学OB会の合唱練習に参加するとのことで、高槻まで送り、一人で参拝してきました。こちらは、「天の磐船」(あめのいわふね)とよばれる天野川を跨ぐように横たわる高さ約12メートル・長さ約12メートルの舟形巨岩を御神体としています。ご祭神は、「 饒速日命」。正式名 天照国照彦天火明奇玉神饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)。・・・・私は、本来の天照大神ではないかと思っていますが、物部氏の遠祖神(とおつみおや)と言われています。
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写真のように、ご神体の下に拝殿のみがあります。こちらは、ニニギノミコトよりも先に饒速日命が降臨してきた聖地なのです。行場岩窟をはじめとする巨石群があり、岩窟めぐりができます。
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↑こちらから、入場していきます。
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こんな所通れるのかというほど狭い岩の間を抜けなければいけません。ちょっと太った人には無理です。
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岩を抜けた先に奥宮らしき場所が。天岩戸です。
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不思議な神社でした。