2014-03-21

月読神社 (京滋旅行2日目)

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松尾大社摂社「月読神社」です。松尾大社の南に位置し、顕宗三年(四八七)阿閉臣事代によって、壱岐から勧請されました。ご祭神は、もちろん「月読命」。月読神社が京都へもたらされるにあたって は渡来系氏族、なかでも山城国と深く関係す る秦氏が関わった可能性が強く、古代京都の 神祇信仰やまた渡来文化を考える上で重要な 意味をもつ神社であるといえます。延喜式では名神大社の一つに数 えられる式内社でもあります。
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本殿にも鳥居と同じく「月読大神」の扁額があります。
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一間社流造です。
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末社には珍しく「聖徳太子社」がありました。

車折神社 (京滋旅行2日目)

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古代史研究のための神社探訪とは、あまり関係ない神社ですが、話のタネに参拝しました。
ご祭神は、清原頼業(きよはらのよりなり)公。頼業は、学問で有名な清原氏の出であり、自身も平安時代後期の著名な漢学者・儒学者です。大外記の職を長年務め、晩年には九条兼実より政治の諮問を受け、兼実から「その才、神といふべく尊ぶべし」と評された人物です。社名の「車折」については、ある人が牛車に乗ったまま社前を通った所、突然車が裂けてしまったためとも、後嵯峨天皇の大堰川遊幸の際、社前で突然車が前に進まなくなったので、不思議に思って社の者に問うた所、頼業公を祀ると答えがあったので、還御の後に「車折大明神」の神号と正一位の神階を贈ったためともいう。 P1030391
こちらが有名なのは「芸能神社」が境内社にあり、ここを多くの芸能人が参拝し玉垣を治めているからです。
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想像以上に多くの玉垣が所狭しとあります。
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男気の面々もありました。
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車折神社の神紋は「丸に一」紋と桜紋のようです。

石清水八幡宮 (京滋旅行2日目)

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石清水八幡宮です。京都の南 八幡市に位置します。清和天皇貞観元年(859)、南都大安寺の僧行基が、「吾、王城近き石清水男山の峯に移座して国家を鎮護せん」という豊前宇佐八幡の託宣を蒙り、まず、現在の離宮八幡宮の地に至り、その後朝廷より宣旨を受けた橘良基が当地に六宇の社殿を建立されました。
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本殿へは、ケーブルカーで登ります。山頂駅から程なく歩いてゆくと、有名な八幡鳥居が待ち受け待ています。
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そして、石灯籠に長い参道。
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その先に南総門。
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そして境内へ。
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楼門をもつ拝殿は、荘厳です。
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賽銭箱には、八幡宮お決まりの神紋「三つ巴」紋です。本殿は、残念ながら見ることはできませんでした。
そのかわり、男山からは、京都方面が一望できました。
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磐船神社 (京滋旅行2日目)

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2日目最後に参拝したのは、大阪 交野市にある「磐船神社」です。かみさんが、大学OB会の合唱練習に参加するとのことで、高槻まで送り、一人で参拝してきました。こちらは、「天の磐船」(あめのいわふね)とよばれる天野川を跨ぐように横たわる高さ約12メートル・長さ約12メートルの舟形巨岩を御神体としています。ご祭神は、「 饒速日命」。正式名 天照国照彦天火明奇玉神饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)。・・・・私は、本来の天照大神ではないかと思っていますが、物部氏の遠祖神(とおつみおや)と言われています。
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写真のように、ご神体の下に拝殿のみがあります。こちらは、ニニギノミコトよりも先に饒速日命が降臨してきた聖地なのです。行場岩窟をはじめとする巨石群があり、岩窟めぐりができます。
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↑こちらから、入場していきます。
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こんな所通れるのかというほど狭い岩の間を抜けなければいけません。ちょっと太った人には無理です。
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岩を抜けた先に奥宮らしき場所が。天岩戸です。
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不思議な神社でした。

2014-03-20

多賀大社 (京滋旅行1日目)

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「多賀大社」。旧官幣大社です。ご祭神は、伊邪那岐命・伊邪那美命です。『古事記』の一部には「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」と当社の記載があり、「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」との俗謡もあるほど、重要なお社です。
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鳥居をくぐると真っ先にあるのは「太閤橋(そり橋)」。渡ることができますが、雨で滑ってしまいそうなので止めておきました。
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ご神門をぬけると、立派な拝殿が飛び込んできます。拝殿に神楽殿をもち、両翼に翼廊があります。ご神紋である「虫くい折れ柏」紋が見当たりません。
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「三つ柏」紋が多くあります。社紋でしょう。お守りにありました。
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ちょっとわかりずらいですね。の字に二枚の柏の葉です。ネットでこの紋のTシャツがあったので掲載します。
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これです。
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本殿は、大社造りらしいのですが、残念ながら屋根の一部しか見る事ができませんでした。

兵主大社 (京滋旅行1日目)

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2社目は「兵主大社」です。兵主というかわった名前をもつ神社は、全国に50近くありますが、式内社は、19社そして名神大社は当社と大和国穴師坐兵主神社・壱岐国兵主神社のみです。兵主神とは?当社は八千矛神(やちほこのかみ)(大国主神)を主祭神とし、手名椎神・足名椎神を配祀していますが、この大国主神と素戔嗚命が一番多いみたいですが、,『史記』封禅書に載せる諸神の中に「兵主」という神がみえることなどから,これは日本固有の神ではなく中国の「兵主」に由来する外来神ではないか?という説があります。 兵主神は中国神話で、世界で最初に金属による兵器を製造した戦争の神角力(相撲)好きの半人半獣の怪物で、その名を蚩尤(しゆう)というそうです。また、但馬地方に多くあることから、天日槍命という説も。
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300mほどの参道を過ぎると太鼓橋、朱の両部鳥居が見えてきました。そして、同じく朱の楼門。
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その奥に翼廊をもつ拝殿が。桧皮葺 入母屋造りです。
おもしろいのは、狛犬です。体に多くの包帯が巻かれています。
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尋ねてみると、参拝者が「身体の痛みが治癒するように」と包帯を巻くようです。
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神紋は、お賽銭箱にある「亀甲に鹿角」紋です。社紋は出雲大社でおなじみの「二十亀甲花菱」紋でした。
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本殿は、一間社流造 。手前にちょっとした庭があり、鹿の像と見えにくいですが奥に亀の像がありました。『兵主大明神縁起』によると、「御祭神八千矛の大神亀の背に乗り湖上を 鹿の背に乗り豊積の平野を」渡って来たとの記載があるようで、それを顕しているのでしょう。

建部大社 (京滋旅行1日目)

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三社目は「建部大社」です。近江国一の宮にして旧官幣大社です。ご祭神は、日本武尊。そして相殿に天明玉命、権殿に大己貴命を配祀しています。
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参道を抜けると、まず神門。こちらにご神紋である「三本杉紋」の垂れ幕が飾り付けてありました。
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そして、ご神木の三本杉と拝殿。
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拝殿から少し離れてご本殿への参拝場所がありました。こちらにはお賽銭箱に「十六八重菊紋」、屋根部分に「丸に三つ葉葵紋」が。こちらは、社紋でしょうか?そして、右に本殿・左に権殿の本殿があります。
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一間社流造のようです。
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建部大社は、日本で初めて作られた千円札にご本殿が日本武尊とともに印刷されていたそうです。

日吉大社 (京滋旅行1日目)

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山王鳥居で有名な日吉大社にやっと参拝することができました。旧官幣大社です。こちらは、本宮が東本宮・西本宮と二つあります。東・・大山咋神、西・・大己貴命 がご祭神です。この他に宇佐宮(田心姫神)牛尾宮(大山咋神荒魂)白山宮(白山姫神)樹下宮(鴨玉依姫神)三宮宮(鴨玉依姫神荒魂)を合わせて上七社(山王七社)と呼びます。
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当然ですが、それぞれに神紋があります。まず、山王鳥居を抜けて歩いてゆくと西本宮へでます。
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立派な西本宮の楼門です。西本宮の大己貴命は、天智天皇七年(668年)大津京遷都の際に、大津京鎮護のため、大和三輪山(大神神社)から勧請したものです。 P1030232
こちらが本殿です。 母屋の正面と両側面に庇(ひさし)(外陣)を付け加えた間取りで,屋根の背面が入母屋造の軒先を切り落としたような形になり,左右の庇がすがる破風になっています。この独特の本殿は「日吉造」と呼ばれています。
東本宮本殿も同じく「日吉造」です。
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境内は下の図のようになっています。
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西本宮から宇佐宮・白山宮を経て、東本宮へ向かいます。上図のように東本宮の左手に、八王子山の登り口がありますが、今回は登りませんでした。 P1030266
東本宮楼門を下ったところに、猿石と呼ばれる霊石がありました。確かにそう見えますね。日吉大社では、お猿さんは神様のお使いで「神猿」と呼ばれ、「魔が去る・何よりも勝る」として縁起の良いものとされてきました。そして、本当の神猿(まさる)も折の中ですが、いました。 日吉大社は、敷地も広大で神域と呼ぶにふさわしい神社でした。