2010-04-24

金鑚神社(かなさな)

今日は、東京へ戻って初めてのゴルフ(コンペ)で埼玉の本庄児玉まで足を運んだ。4時半起きの5時出発。2時間かけての小旅行だ。20分以内に10以上もゴルフ場があった宮崎が懐かしい。その上早出にもかかわらず6時頃の関越自動車道はすでに渋滞。恐ろしいや関東。さてゴルフだが、1ヶ月ぶりにクラブを握ったので、さすがにスコアは散々。やはり練習せねば。帰宅前に、近くに旧武蔵の国二宮であった「金鑚神社」があると調べていたので参拝しに。
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旧官幣中社にして名神大社そして式内社と由緒ある神社(もとは金佐奈神社)である。御祭神は、天照大神、素盞嗚尊です。日本武尊が配祀されています。社伝によると、景行天皇の四十一年、日本武尊東征の帰途、東国鎮護のために、伊勢神宮の伯母である倭姫命から草薙剣に副えて、賜った火鑚金(火打石)を御霊代として、御室ヶ嶽に天照大神と素盞嗚命を祀ったのが創祀らしい。「金鑽」の社名は、社伝にあるように、火打石(火鑽金)が御魂代であることから起ったとする他に、金鑽=金砂と見る説がある。すると社名からして金山彦尊がご祭神だったのではと思う。近くには、蛭川という地名もあり出雲系の匂いがしてならない。
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特徴は、なんといっても「拝殿」のみで「本殿」がないこと。参拝者はご神体である神奈備「御嶽山」を祝詞屋を通じて拝する。「本殿」を持たない旧官幣・国幣社は、奈良の大神神社・長野の諏訪大社とこの「金鑽神社」のみ。非常に静かで清々しい空気の神社であった。
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参道には、重要文化財である「多宝塔」がある。ご神紋は「樫の葉」らしいが、みつけることができなかった。残念。

2010-04-17

根津神社

根津神社は今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社である。ご祭神は「素戔嗚尊」。美しい鳥居と楼門をもつ。
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そして、社殿は拝殿の奥に幣殿・本殿と一宇に続く、総漆塗りの華麗な権現造り。
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2010-04-11

玉前神社

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玉前神社を参拝。上総一之宮にして旧国幣中社だ。ご祭神は玉依姫命。鎌倉以降、武家の崇拝は厚く、頼朝も政子の安産祈願をしたと伝えられる。残念ながら拝殿・本殿は改修のため見ることができなかった。
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ご神体は珠玉といわれているだけに、神輿の腹には、見事な宝珠の紋が付けられていた。ちなみに、神紋は「三つ巴」みたいだ。実は、もう一つ「鏡に御統みすまる」という紋があるはずなのだが、拝殿・本殿は見えず確認できなかった。残念。神輿には、大宮・若宮とあるが、一説によると、大宮が「玉前大神」で若宮が「玉依姫命」らしい。
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さて「玉前神社」といえば、春分・秋分の日のご来光の道で有名だ。この日、太陽の運行線が上総一ノ宮の玉前神社から島根の出雲大社を結ぶ。相模国の寒川神社、富士山、日蓮宗の聖地七面山、伊吹山、琵琶湖竹生島の弁財天、大江山の皇大神社、大山神社と名だたる聖地が並ぶのだ。北緯35度22~24のレイライン。これこそが、日本古代の隠された大いなる御技なのでは。おもしろい。
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2010-04-04

東京大神宮

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飯田橋のそばにある「東京大神宮」を参拝。明治天皇のご裁断を仰ぎ、東京における伊勢神宮の遥拝殿として明治13年に創建されたそうです。「東京のお伊勢さま」と称されている。御祭神は、もちろん天照皇大神、豊受大神。それほど広くない境内だが、近年の縁結びの御利益からか、若い女性がたくさん参拝していた。神前の結婚式を初めて行った神社としても有名。もとは、日比谷の大隈重信邸にあったそうだ。それにしても見事な千木・鰹木だ。
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ご神紋は「十六菊に花菱」のようです。
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2010-02-28

御朱印帳

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御朱印帳 8冊となりました。左上 全国一ノ宮御朱印帳(一ノ宮専用)、左下 素盞嗚尊を訪ねて御朱印帳(素盞嗚尊 主祭神専用)、真ん中上 鵜戸神宮・明治神宮(天孫族 天皇家専用) 真ん中下 大神神社・熱田神宮(出雲系及び国津神専用) 右上 太宰府天満宮(天神専用)、右下 神田神社(別格官幣社及び功績人物専用)

2010-02-14

検見川神社

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思いっきり地元の「検見川神社」を個人的公式参拝。(わたくし的には、ご朱印帳とデジカメを持参しているのが、公式参拝)ご祭神は素戔嗚尊。そして、東に宇迦之御魂神、西に伊弉冉尊を祀っている。もちろん本殿もそのため3つある。そして、神紋らしきものが三つ。
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中央「五瓜に唐花」東「焔宝珠」。ここまでは、納得。しかし西「九曜」。たぶんこれだけは、地元 千葉氏家紋からきてるのだろう。ちょっと違和感が。
しかし、本当の神紋は「三つ巴」とみた。拝殿に・・・
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見事な「三つ巴」紋。
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本殿は残念ながら、場所的に撮影が難しかった。

2010-02-12

赤坂氷川神社

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赤坂氷川神社を参拝。ご存じ、ご祭神は「素戔嗚尊」。奇稲田姫命、大己貴命(大国主命)が配祀されている。
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朱色でありながら、黒がきいているのか拝殿は、おごそかなたたずまい。
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ご神紋は「三つ巴」でした。

山王日枝神社










































山王日枝神社ご参拝。旧官幣大社にして、準勅祭社(東京十社)。大山咋神(おほやまくひのかみ)を主祭神とし、相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ)、伊弉冉神(いざなみのかみ)、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)を祀る。別名「日吉山王大権現社」。山王鳥居が美しい。































当社は、江戸城の裏鬼門に位置しており、「皇城の鎮」にふさわしい。





















神紋は「丸に二葉葵」紋。本殿は残念ながら見る事が出来なかった。

2010-01-02

御朱印

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あけましておめでとうございます。
昨年より、神社巡りをはじめたが、欠かせないのが「御朱印帳」だ。よくある男の収集ぐせというものだ。(まあ、子供のポケモンカード集めに似ていないでもないが)一之宮専用、日向天孫系専用、出雲系及び国津神系専用、素盞嗚尊専用など御朱印帳を分けて参拝の印に頂いて歩いた。御朱印は、社務所などで戴くが、料金は気持ちだ。相場としては300円というのがお納め料となる。(小銭がないと気持ちをお納めくださいと言われてお釣りをもらいにくいので気をつけよう)墨字は、見事な達筆なもの、そうでないものと様々だが致し方なし。めんどくさそうにされた上に字が下手だと頭にくるが、ぐっと堪えて有難くいただこう。
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現在、所有の御朱印帳は、「全国一ノ宮専用」「大神神社(終了)」「鵜戸神宮(終了)」「熱田神宮」「素盞嗚尊を訪ねて」の5冊、近々あと二冊購入の予定。(太宰府天満宮と明治神宮)

2010-01-01

敢国神社(あへくに)

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今年の初詣は、かみさんの実家 伊賀上野に鎮座する「敢国神社」へ参拝。伊賀国一之宮にして旧国幣中社、式内社、別表神社である。ご祭神は、大彦命で、 少彦名命 ・金山媛命を配祀している。赤い両部鳥居(本体の柱を支える形で稚児柱(稚児鳥居)があり、その笠木の上に屋根があるもの)が印象的だ。大彦命は、第八代孝元天皇の第一皇子にして「四道将軍(武渟川別命・吉備津彦命・丹波道主命・大彦命)」のひとりで、阿部氏の祖である。
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東には、南宮山があり、元は、少名彦命は、この山頂に祀られていたらしい。その遷座により、美濃の南宮大社から金山媛命を勧請したらしい。この「南宮」により、信濃の国の諏訪下社、美濃の国の南宮神社と深い繋がりを持っているようだ。『梁塵秘抄』には、当社を「をさなきちごの宮」と記されており、やはり、少名彦命が本来のご祭神ではないだろうか。ご神紋は見ての通り「流れ巴」だし。
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陽夫多神社(やぶた)

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敢国神社参拝の後、阿山にある伊賀の国 式内社「陽夫多神社」を参拝。珍しい平屋造りの拝殿。その後方に聳える二本の大杉(ご神木)も驚きだ。
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ご祭神は「スサノオ尊」。当然のごとく、ご神紋は「左三つ巴」と「五瓜に唐花」。
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本殿は美しい「流造り」であった。

2009-12-31

終わり(尾張)詣で

今年の正月は、かみさんの実家(三重県)へ。そのため、朝早く宮崎よりセントレア中部国際空港へ向かう。家族は千葉から夕方名古屋で合流。さてそれまでの6時間は、2009年大晦日、今年最後の参拝へ。目的は、熱田神宮、熱田神宮境外摂社高坐結御子神社、尾張一宮 真清田神社、そして、「須佐之男尊は即ち皇国の本主なり。故に日本の総社と崇め給いしなり」として日本総社の号を奉られている 津島神社まさに終り(尾張)詣でだ。

津島神社

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大同五(810)年正月、嵯峨天皇は津島神社に、「須佐之男尊は即ち皇国の本主なり。故に日本の総社と崇め給いしなり」として、日本総社の号を奉られている。また、一条天皇(寛和二(986)~長元九(1036)年)は、津島神
社に天王社の号を贈られた。

素戔嗚尊を祀る天王社は全国に3000社ともいわれているが、その総本山が「津島神社」である。社殿はもちろん「尾張造り」であでやかだ。
*尾張造り・・・本殿は丹塗の流造で、祭文殿・廻廊・拝殿と釣殿が左右対称に配置。
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境内は明日の、初詣に備えて準備で忙しそうだ。大晦日に参拝する人はそんなにはいないのだろう。ご朱印の巫女さんも迷惑そうだ。ここでは、「素戔嗚尊を訪ねて」というご朱印帳を購入し、一番に朱印をしてもらった。
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楼門も風格がただよう。そして、スサノオの印「五瓜に唐花」の神紋がいたるところに。
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織田信長は、当社を氏神と仰いで造営その他に協力し、秀吉を始め豊臣一門は信長に引き続き、秀吉は天正十九年(西暦1591)楼門(重要文化財)を寄進し、
慶長三年(西暦1598)には、秀頼が秀吉の病気平癒を祈願して南門(県文化財)を寄進した他、社領等を寄進造営し尊信したらしい。

誰が、古代日本の王であったかを知っていたのだろう。納得。

2009-12-19

宮崎の神社とご祭神

今年、宮崎の有名どころの神社は参拝できた。宮崎の神社の特徴は、当然、天孫族をお祀りする神社が他の地域よりも圧倒的に多いことである。たぶん、これ程、天孫系を祀る県は他にはない。これは、勿論日向神話によるとことが多い。

さて、今年参拝した宮崎県の神社を御祭神ごとに紹介してみよう。
イザナギ・イザナミ・・・江田神社・小戸神社(宮崎市)・くしふる神社・二神神社(高千穂町)・霧島東神社(高原町)

アマテラス・・・天岩戸神社<東本宮>(高千穂町)・大御神社(日向市)・榎原神社(南郷町)・神柱宮(都城市)・加江田神社(清滝町)

ニニギノミコト・・・東霧島神社(高崎町)・霧島岑神社(小林市)

ヒコホホデミ・・・青島神社(宮崎市)・串間神社(串間市)・矢的原神社(宮崎市)

ウガヤフキアエズ・・・鵜戸神宮(日南市)

カムヤマトイワレヒコ・・・宮崎神宮(宮崎市)・皇宮神社(宮崎市)狭野神社(高原町)・駒宮神社(日南市)・立磐神社(日向市)。佐野原神社(宮崎市)・皇子原神社(高原町)

ミケイリノミコト・・・高千穂神社

コノハナヤクヤヒメ・・・都萬神社(西都市)・木花神社(宮崎市)

イワナガヒメ・・・銀鏡神社(西都市)

タマヨリヒメ・・・宮浦神社(日南市)

アヒラツヒメ・・・吾平津神社(日南市)

サルタヒコ・・・荒立神社(高千穂町)野島神社(宮崎市)

ヤマトタケル・・・白鳥神社(えびの市)

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その他

住吉三神・・・住吉神社(宮崎市)・御崎神社(串間市)

応仁天皇・・・宮崎八幡宮(宮崎市)・今山八幡宮(延岡市)



オオナムチ・・・都農神社(都農町)・霞神社(高原町)

スサノオ・・・祇園神社(日南市)

2009-11-22

志賀海神社

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雨がそぼ降る福岡へ神社参拝へ出かけた。まず向かったのは志賀島に鎮座する安曇族の社であり海神の総本山とも言うべき「志賀海神社」。ご祭神は、仲津綿津神・底津綿津見神・表津綿津見神のワダツミ三神。志賀海神社では、4月と11月の祭礼(山誉め祭)で、いにしえより以下の神楽歌を歌うらしい。

君が代<だい>は 千代に八千代に さざれいしの いわおとなりてこけのむすまで
あれはや あれこそは 我君のみふねかや うつろうがせ身骸<みがい>に命<いのち> 千歳<せんざい>という 花こそ 咲いたる 沖の御津<おんづ>の汐早にはえたらむ釣尾<つるお>にくわざらむ 鯛は沖のむれんだいほや

志賀の浜 長きを見れば 幾世経らなむ 香椎路に向いたるあの吹上の浜 千代に八千代まで 今宵夜半につき給う 御船こそ たが御船ありけるよ あれはや あれこそは 阿曇の君のめし給う 御船になりけるよ いるかよ いるか 汐早のいるか 磯良<いそら>が崎に 鯛釣るおきな


そう。君が代の歌詞。君が代は、古今和歌集からとられたと言われていますが、実は源流はここ筑紫にあるらしい。まず「千代」は、福岡市の中心部に「千代」という地名があり、八千代は博多湾を指し、「さざれ石」は、福岡県西部の糸島郡に「細石(さざれいし)神社」。「苔のむす・・」は、同じ糸島郡の桜谷神社に「苔牟須売神(コケムスメノカミ)」。と・・・

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拝殿は、厳かな雰囲気を醸し出していたい。神紋は「三つ巴」のようだ。志賀島の東の高台にあるため、拝殿の右(東)に遥拝所が設けられていたい。

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たぶん、ここから日の出を拝みつつ、船の無事をいにしえより祈願していたのであろう。