2014-05-02

唐松神社

秋田県大仙市協和に位置する待望の「唐松神社」に参拝。
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参道の杉並木が暫く続く。圧巻。
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樹齢300年樹高45mもの杉があるそうだ。
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本宮のご祭神は、軻具突命 息氣長足姫命 豊宇氣姫命 高皇靈命 神皇靈命。
「物部文書」によると、唐松神社は、本来「韓服宮」という名前。三韓征伐後、つまり韓を征服した神功皇后の創建という意味。新羅征討に参加した、物部氏・膽咋連(いくいのむらじ)が、皇后の御腹帯を拝受し、当地に来て、月出野に、当社を創建した。
こちらの宮司は、なんと代々「物部氏」なのだそうだ。
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朱の二の鳥居「台輪つき両部鳥居」をくぐると拝殿は、階段下に見える。下りの宮である。
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神紋は「三つ柏」。
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「下りの宮」は珍しい。本来の祭神である「饒速日命」が関係しているのは間違いない。あまりにも霊力が強いか、静かに鎮まってもらいた神だったのではないかと推察する。
そして当社は謎の「唐松山天日宮」をもつ。
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天日宮のご祭神は、初代日ノ本の王というべき「饒速日命(ニギハヤヒノミコト)」。物部氏祖神である饒速日命は、鳥見山(鳥海山)の「潮の処」に天降った。その後、逆合川の地・日殿山(唐松岳)に「日の宮」を造営し、大神祖神・天御祖神・地御祖神を祀ったという。
3月に、同じく饒速日命の天降りし「磐船神社」を参拝したばかり。これは、嬉しい。
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本殿は、池の中に作られた「ストーンサークル」の上に建つ。
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なんとも不思議な光景。
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しばし呆然と社殿を眺める。
隣の池にも玉鉾神の石碑が建っていた。
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唐松神社の秋田物部家の家系図では、膽咋連(いくいのむらじ)を鼻祖とする。そして四代を省略して物部尾輿が記されている。尾輿の後継者は物部守屋だが、蘇我氏との戦いで有名な守屋の名はなぜか表に出た形で記載されず、守屋の子、つまり尾輿には孫の那加世(なかよ)が秋田物部家の祖・初代として扱われている。蘇我氏に敗れた物部氏の東北へのがれ、こうした饒速日命の伝説が生きずいていると考えると実に興味深い。やはり神社探訪はやめられない。

古四王神社

今日の宿泊地は、秋田市内のホテル。ホテルへ向かう前に、旧国弊小社「古四王神社」を参拝。こちらは、秋田市内に鎮座しています。
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ご祭神は、武甕槌神と大彦命。社伝によると、四道将軍の一人・大彦命が、蝦夷平定の際、北門鎮護のため武甕槌神を祀り、「鰐田浦(あぎたのうら)の神」として祀ったのがはじめ。後に、阿部比羅夫が下向の時、大彦命を合祀し、越王(古四王)と称したといわれている。 P1030834
鳥居をくぐると参道右手には、征夷大将軍として蝦夷平定にやって来た坂上田村麻呂が古四王神社に戦勝祈願したことから、将軍を祀った田村神社があります。 P1030824
階段を登るといかにも古社らしい拝殿が。
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神紋は「輪宝」。もとは聖護院修験道の管轄だったからでしょうか。
真理を示すものと同時に、破邪の剣の輪でもある「輪宝」。北方警護の武神を祀るには相応しい神紋かもしれません。
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本殿は、一間社唐破風向拝付入母屋造でしょうか。
これにて、1日目の観光及び参拝は終了です。

2014-04-27

日本橋七福神巡り

福運を招く「七福神」。日本橋にはこの七福神を祀る神社巡りができます。
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1社目「小網神社」。強運厄除の総本社で約550年前の文正元年(1466年)に鎮座した古社です。ご祭神は稲荷大神の倉稲魂命(うがのみたまのみこと)で、明治期、神仏分離令により廃寺となった寺に安置されていた弁財天福禄寿を譲り受け、配神と合わせて祀るようになりました。像がお舟に乗られているため、万福舟乗弁財天と言われています。そして、福禄寿さまは、健康長寿の御利益とともに、「福徳」「人徳」「財徳」など多くの「徳」を授ける神様です。
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2社目「茶ノ木神社」。もとは下総の佐倉城主の大老・堀田家の屋敷で、ご祭神の倉稲魂命(うがのみたまのみこと)はその守護神です。屋敷はもとより周囲の町方にも、長年火災が起こらなかったため、火伏せの神として崇められている一方、合祀されている布袋尊も福徳円満の神として広く人々の信仰を集めています。
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3社目「松島神社」。江戸時代に当地付近が松島町と名付けられたといい、明治7年には松島稲荷神社として村社に列格していたといいます。ご祭神は、稲荷大神をはじめ13神。その中に、大国主神(だいこくさま)がいらっしゃいます。
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4社目「水天宮」。こちらは、現在敷地を含め大がかりな改修工事中で、明治座(浜町公園前)の近くにある仮宮へ参拝。完成には3年ほどかかるそうです。水天宮は、久留米藩主有馬頼徳公が港区赤羽の藩邸内に久留米市水天宮の御分霊を文政元年(1818)勧請して創建したといいます。藩邸の移動に伴い、青山への遷座を経て、明治5年当地に遷座しました。ご祭神は、天御中主大神です。また、安徳天皇、建礼門院、二位ノ尼も配祀されています。ご参拝の妊婦の方が鈴乃緒(鈴を鳴らす晒しの鈴紐)のおさがりを頂いて腹帯として安産を祈願したところ非常に安産だったことから人づてにこの御利益が広まりました。そして末社のひとつが、中央弁財天です。
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5社目「笠間稲荷神社」。日本三大稲荷のひとつ、茨城県の笠間稲荷神社の東京別社。ご祭神は、もちろん宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。寿老神が末社に祀られるようになったのは、昭和51年(1976年)と比較的最近。長寿、お導き、幸運の神様として、人々の運命をよい方向へ切り拓いてくれるそうです。
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6社目「末廣神社」。もともとはこの地にあった遊郭、葭原(吉原)の氏神で、末廣の名は延宝3年(1675年)に社殿を修復した際、本殿から縁起のよい中啓(末広扇)が出たことにちなむ。お稲荷様とともに合祀されている毘沙門天は、本来は竹甕槌命(たけみかづちのみこと)という武道の神様です。
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7社目「椙森神社(すぎもり)」。社伝によれば平安時代に平将門の乱を鎮定するために、藤原秀郷が戦勝祈願をした所といわれています。室町中期には江戸城の太田道灌が雨乞い祈願のために山城国伏見稲荷の伍社の神を勧請して厚く信仰した神社で、江戸時代には、江戸城下の三森(烏森神社、柳森神社、椙森神社)の一つに数えられ、椙森稲荷と呼ばれていました。特に信仰の厚かった神道家・吉川惟足が恵比寿大神を奉斎しました。
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8社目「寶田恵比寿神社」。もとは江戸城外の宝田村の鎮守で、現在の皇居前にあったが、徳川家康公による江戸城拡張により日本橋本町に移転した。祭壇中央に祀られる恵比寿神像は、慶長11年(1606年)に三伝馬取締役の馬込勘解由が徳川家から譲り受けたもので、運慶作とも左甚五郎作とも。
これにて、8社9神の「日本橋七福神めぐり」は終了。60分から90分程度で巡り事ができます。どうぞご参拝ください。
水天宮では、七福神の色紙もいただくことが出ます。
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2014-04-13

住吉神社(東京;佃島)


佃島にある住吉神社を参拝。
徳川家康公が関東下降の際、摂津国佃の漁夫33人と住吉の社の神職平岡権大夫好次が分神霊を奉載し江戸へ下り、寛永年間に幕府より鐵砲洲向かいの干潟を賜り築島しました。そして故郷の名をとり佃島とし、この地に社地を定め、正保3年(1646)6月29日 住吉三神、神功皇后、徳川家康の御神霊を奉遷祭祀しました。これが佃住吉神社の起源です。
拝殿の向こうには、佃島のマンション群があり対比がおもしろいです。
境内に変わったものを見つけました。
梅の木ですが、一つの木から紅梅と白梅が咲いているのです。不思議でした。
海の神様らしく、手水舎には「舟」を漕ぐ彫り物があります。

神紋は「丸に鷺(さぎ)」 社紋は「丸に三つ星」のようです。



2014-03-22

貴船神社 (京滋旅行3日目)

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早朝、まずは本宮を通り過ぎ貴船川沿いにせせらぎを聞きながら上がっていきます。中宮(結社ゆいのやしろ)・奥宮を目指します。300mほどで「結社」に到着。
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結社(ゆいのやしろ)は、磐長姫命(いわながひめみこと)を祀っています。古来より、縁結びの神として信仰を集めていると書かれています。これには、疑問があります。
磐長姫命は大山祇神(おおやまつみ)の娘で、木花開耶姫(このはなさくやひめ)の姉。 コノハナノサクヤビメとともに天孫瓊々杵尊(ににぎ)の元に嫁ぐが、イワナガヒメは醜かったことから父の元に送り返された姫です。縁結びとはほど遠いですからね。 P1030489
社殿の右わきには「天の磐船」とよばれる自然石があります。朝の静けさと気温の低さもあって、凛とした空気が心地よいです。和泉式部が参拝した時の和歌が石碑として置かれています。
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「ものおもへば 沢の蛍も わが身より あくがれいづる 魂かとぞみる」 :::恋に悩んでいたら、沢に飛ぶ蛍も私の体から抜け出した魂ではないかと見えます::: それに対して貴船明神が返したと伝えられる短歌があります。 「おく山に たぎりて落つる 滝つ瀬の 玉ちるばかり ものな思ひそ」 :::奥山にたぎり落ちる滝の水玉が飛び散るように、(魂が飛び散ってしまうほど)思い悩んではいけません::: いずれも、後拾遺和歌集に収録されています。 さて、さらに400m先に奥宮があります。
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昨夜の雪を被った枝がきらきら光り幻想的です。P1030502
鳥居を抜け暫く大きな杉並木の参道を歩きます。
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奥宮到着。まだ、灯篭に灯りが入っています。以前はこちらが本宮だったようです。
ご祭神は、闇龗神(くらおかみのかみ)。本宮の高龗神と同じ神であるとされています。
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静謐な境内を一人歩いてゆきます。
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本殿の脇に「権地」がありました。「権地」とは、社殿の新築・改築・遷座などで社殿の工事を行う際に、仮の社殿を建てる場所のことをいうそうです。そして、この下には「竜穴」があると伝えられています。  文久年間(1861~63年)、本殿工事の際に大工が誤ってノミを本殿下の竜穴に落としたところ、にわかに天候が変わって突風が起こり、ノミを空中へ吹き上げ、怒った竜が現れ、その大工は落命したという話もあります。そんな伝説も遺されているほど、「穢したりしてはいけない神聖な場所」だと考えられていたのでしょう。 P1030519
暫く、誰もいない境内で、山の空気を吸い込み、静かに過ごしました。
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貴船川を下り、本宮まで戻ります。
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ご祭神は、先ほど記述しましたが、水の神様である「高龗神(たかおかみ)」です。 全国に約450社ある貴船神社の総本社。式内社(名神大社)にして二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣中社です。
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参道に階段には、両脇に朱の灯篭が続きます。この写真が撮りたかった!!
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拝殿には、灯りがつけられています。
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本殿は、三間社流造です。
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神紋は「双葉葵」紋。
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境内には、白馬・黒馬の神馬像があります。当社は水の神を祀る神社ですが、祈雨八十五座の一として、祈雨に黒馬、祈晴に白馬を奉納されたそうです。昔は馬が貴重だったので、いつしか馬の絵を奉納するようになったらしく、そもそも絵馬発祥の地だといわれています。
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京都の奥座敷「貴船」の静けさと「貴船神社」の神気を十分に堪能しました。