2012-05-26

鷲神社(稲敷)

今日行った「ザ・インペリアルゴルフクラブ」の裏手にある「鷲神社」もプレー前に参拝。 017
入り口が見つけにくかったのですが、鳥居をやっと見つけました。石段は90段。名前の通り、祭神に天日鷲命を奉り天長年間(824~34)創建とされる由緒ある神社です。 019
石段を登りきると広場になり、玉垣、灯篭、狛犬などはないが、稲荷神社や 浅間神社の祠が周囲に並んでいる。 拝殿は極めて質素。何づくりかもわかりません。 021
本殿は美しい一間社流造でした。 階段を鳥居に向かって降りてゆくとのどかな田園が広がっています。その向こうが見えませんが霞ヶ浦です。 023

神崎<こうざき>神社(千葉)

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千葉香取郡 利根川沿いにある「神埼神社」を参拝。主祭神は天鳥船命  大己貴命、少彦名命。 当社は香取神宮の末社ではないが、式年造営のときは「あさめ殿」を造る常役であった。神紋は香取神宮と同じ「五七の桐」だ。 008
拝殿の右側にある大きな木が目に入り見てきました。案内板を読むと国指定天然記念物の「なんじゃもんじゃの木」。延宝二年(1674)四月、水戸光圀が当社へ参詣した折、「この木は何というもんじゃろうか」と自問し感嘆したといい、それ以来「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれるようになったという。 010
本殿は流造でした。 012
まさに鎮守の森といった感じでした。 013

2012-05-12

愛宕神社(茨城:行方市)

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ゴルフで近くまで来たので探しました。茨城行方市にある「愛宕神社」です。鳥居と社殿の間の谷地に、「天龍の御手洗」といわれる清水があります。『常陸国風土記』行方郡に見える、「椎井」に比定されています。 継体天皇の時代、箭括氏の麻多智という人が郡役所の西側の谷を開墾したとき、体は蛇で頭にツノのある「夜刀の神」が群れをなしてやってきて、田をつくることを妨害した。そのため、麻多智は怒り、甲冑で身を固め、矛を手にとって、打ち殺して追い払った。そして、山の入り口に境界となる標の杖を立てて神の土地と人の土地を分け、自身は夜刀の神の祭祀者となって、はじめて社をつくって祀った。 また、孝徳天皇の時代、壬生連麿が谷にあった池に堤を築いていたとき、やはり夜刀の神が群がりきて、椎の木にのぼって居座った。そこで、麿は大声で怒鳴り、「この池を修復させるのも、根本は人民の生活をよくするためなのだ。大君の教化に従おうとしないのは、いったいどこの神なのか」といい、使役の農民たちに、「目に見えるものは魚でも虫でも、恐れたりせずにことごとく打ち殺せ!」と命じた。すると、夜刀の神は恐れ、逃げ去っていった。 この池が、椎井の池と名づけられた、といいます。 小さな麻多智の像が、池のほとりにありました。 009
境内に、「夜刀神」の碑があります。 013
社殿は、今にも崩れ落ちそうでした。 012

2012-05-03

阿彌神社


今日は、ゴルフの予定でしたが、あいにくの大雨で中止に。途中まで車で向かっていたので神社参拝に変更。 式内社「阿彌神社」は、論社が二社ある。どちらも参拝してきた。まずは、阿見町竹来にある「阿彌神社」。 001
ご祭神は、健御雷之男命。もとは、普都大神=經津主命と言われている。 003
鬱蒼とした林の中に境内がある。右手に一つだけ立派な境内社があった。 神紋は「三つ巴」のようです。 008
本殿は三間社流造です。


 もう一社は、阿見町阿見にある「阿彌神社」。こちらのご祭神は、豊城入彦命・経津主命。 由緒によると、崇神天皇十八年、豊城入彦命、東国 に荏み曽て此地に到り昔建御雷経津主二大武神平国の功を憶い、其の上 天地なるを偲びて慨然としていわく「皇 祖の天下を経営せらるるや、阿彌普都 実に能く天業を輔弼せり両神功成り て天に還りしは、蓋し是の地なるか」とこ れより阿彌郷と名づけ、この地に命を 祭る。とあります。 010
現在は、住宅街の一角に鎮座している。 012
参道の途中に立派な鳥居がありました。その奥に拝殿。 014
本殿は、一間社流造でした。 018

蛟蝄(みづち:こうもう)神社(奥の宮)


同じく式内社「蛟蝄神社」へ。利根町にある。 020
ご祭神は、彌都波能賣命 波迩夜須毘賣命。彌都波能賣命(みつはのめのみこ)は、水の神。波迩夜須毘賣命(はやすのひめみこ)は、土の神。田畠の土の神であり、陶磁器の祖神である。 蛟蝄(ミヅチ)は「ミヅ」と「ツチ」を意味し水神と土神を祀ると考えられているが、本来は、蛟蝄=ミヅチで、蛇神の一種と考える方がいいかもしれない。 021
こちらも神紋は「三つ巴」のようです。 023
本殿は、二間社流造でした。

2012-04-29

伊佐須美神社(岩代国一の宮)

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会津若松の西はずれにある「伊佐須美神社」を参拝。ご祭神は、伊弉諾尊・伊弉冉尊。そして天皇の勅命を受けた四道将軍のうち、北陸道を進んだ大毘古命と、東海道を進んだ建沼河別命を祀る。そもそも、「会津」の名の由来は、大毘古命と建沼河別命が出会った場所ということで「相津」と名付けられ現在の「会津」となってる。 082
楼門があり左右に大毘古命と建沼河別命の像が立っていた。 084
拝殿は現在は仮。実は、2008年10月3日に火事が起き、拝殿授与所が焼失。更に同月の29日にも出火し、本殿・神楽殿・神饌所などが全焼しているのだ。2013年再建予定のようです。 086
よつて拝殿後方は広い空間が。その後方に桜の木が。083
桜といえば、当社のご神木は「薄墨桜」 。残念ながら、葉桜へなりかけておりました。
あやめ苑も有名みたいです。

陸奥国一の宮 石都都古和氣神社


陸奥国一の宮が福島には3つある。その一つが石都都古和氣神社 01
主祭神は、味秬高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)。当社は八幡山と呼ばれる山の頂上にあります。永承6年(1051年)、源有光が源義家の安倍一族追討の軍に加わって功績を挙げ、代官として石川の地を賜った。有光は康平6年(1063年)にこの地に移って名を石川有光とし、八幡山山頂の当社東側に三芦城(石川城)を築城。その蹟も見ることができます。 境内までの参道には、たくさんの巨石群がありました。
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神紋は「三つ巴」。 21
本殿は、流造です。本殿を守る為に屋根と枠組みが施されているようです。 16
社務所は、一の鳥居の右手に3件目くらいにありました。

陸奥国一の宮 馬場都都古別神社


都都古別神社は2つあります。馬場と八槻大宮にある。現在はどちらも国幣中社。延喜式神名帳で名神大社。 120
都都古和氣神社と書かれていました。 122
随神門には、陸奥国一宮の文字が。主祭神は、味耜高彦根命〔あじすきたかひこねのみこと〕です。 125
神門の奥に、また鳥居が。 126
古びた神社ですが、緑に囲まれ静謐です。 128
こちらの神紋は「鳳凰に桐」と大変珍しい紋です。 135
本殿は美しい三間社流造でした。

陸奥国一の宮 八槻都都古別神社


最後に訪れたのは、「八槻都都古別神社」。 139
こちらも、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)が主祭神。日本武尊を配祀しています。社伝によると、日本武尊が東征のおり、八溝山の夷族の大将と戦い、勝敗がつかず、そこに、面足尊、惶根尊、事勝國勝長狭命の三神が出現。味耜高彦根命の鉾を授けた。日本武尊は、その鉾を、今の鉾立山に立てかけ、東に向かって矢を放ち、矢の到達した場所に社殿を立て、味耜高彦根命を祀り、その加護により勝利をおさめたという。 141
朱の随神門が印象的です。こちらの額には「奥州一宮」の文字が。 142
随神門の天井に龍が描かれており、神紋もありました。「丸に二つ引」のようです。 143
拝殿も朱色で美しい。 144
本殿は、流造でしょう。正面に千鳥破風があり、かつ唐破風の向拝付で贅沢な造り。しかも非常に美しい出で立ちです。 148

2012-04-08

三嶋大社

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お花見を兼ねて「三嶋大社」を参拝しました。境内には、15種200本の桜があるそうです。 031
鳥居をくぐると参道の両脇に池があり、桜が咲き乱れています。 005
神門の奥にも「三島桜」など・・・ 009
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感激。 さて三嶋大社の祭神は、大山祇命と事代主命であるが、大山祇命は、大三島に鎮座し伊予国一の宮である大山祇神社の祭神。三島の社名の類似から、大三島から勧請されたという説が古くからあるらしい。事代主命は、平田篤胤の説による。神紋は、「角切りに三の字」。大山祇神社も美保神社も「三の字」であることから、どちらの神様か意見が分かれるのだろうか。元は、三嶋は、「御島」から変化したもので、富士火山帯である、伊豆七島に代表される伊豆諸島の神で噴火や造島を神格化したものだと思われる。 拝殿は、見事な千鳥破風をもつ入母屋造り。 019
本殿は、重厚感あふれる三間社流造・銅板葺。 025
さすが、伊豆国一ノ宮でした。これにて42の一ノ宮参拝達成です。
おまけ↓    004