2012-04-29

伊佐須美神社(岩代国一の宮)

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会津若松の西はずれにある「伊佐須美神社」を参拝。ご祭神は、伊弉諾尊・伊弉冉尊。そして天皇の勅命を受けた四道将軍のうち、北陸道を進んだ大毘古命と、東海道を進んだ建沼河別命を祀る。そもそも、「会津」の名の由来は、大毘古命と建沼河別命が出会った場所ということで「相津」と名付けられ現在の「会津」となってる。 082
楼門があり左右に大毘古命と建沼河別命の像が立っていた。 084
拝殿は現在は仮。実は、2008年10月3日に火事が起き、拝殿授与所が焼失。更に同月の29日にも出火し、本殿・神楽殿・神饌所などが全焼しているのだ。2013年再建予定のようです。 086
よつて拝殿後方は広い空間が。その後方に桜の木が。083
桜といえば、当社のご神木は「薄墨桜」 。残念ながら、葉桜へなりかけておりました。
あやめ苑も有名みたいです。

陸奥国一の宮 石都都古和氣神社


陸奥国一の宮が福島には3つある。その一つが石都都古和氣神社 01
主祭神は、味秬高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)。当社は八幡山と呼ばれる山の頂上にあります。永承6年(1051年)、源有光が源義家の安倍一族追討の軍に加わって功績を挙げ、代官として石川の地を賜った。有光は康平6年(1063年)にこの地に移って名を石川有光とし、八幡山山頂の当社東側に三芦城(石川城)を築城。その蹟も見ることができます。 境内までの参道には、たくさんの巨石群がありました。
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神紋は「三つ巴」。 21
本殿は、流造です。本殿を守る為に屋根と枠組みが施されているようです。 16
社務所は、一の鳥居の右手に3件目くらいにありました。

陸奥国一の宮 馬場都都古別神社


都都古別神社は2つあります。馬場と八槻大宮にある。現在はどちらも国幣中社。延喜式神名帳で名神大社。 120
都都古和氣神社と書かれていました。 122
随神門には、陸奥国一宮の文字が。主祭神は、味耜高彦根命〔あじすきたかひこねのみこと〕です。 125
神門の奥に、また鳥居が。 126
古びた神社ですが、緑に囲まれ静謐です。 128
こちらの神紋は「鳳凰に桐」と大変珍しい紋です。 135
本殿は美しい三間社流造でした。

陸奥国一の宮 八槻都都古別神社


最後に訪れたのは、「八槻都都古別神社」。 139
こちらも、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)が主祭神。日本武尊を配祀しています。社伝によると、日本武尊が東征のおり、八溝山の夷族の大将と戦い、勝敗がつかず、そこに、面足尊、惶根尊、事勝國勝長狭命の三神が出現。味耜高彦根命の鉾を授けた。日本武尊は、その鉾を、今の鉾立山に立てかけ、東に向かって矢を放ち、矢の到達した場所に社殿を立て、味耜高彦根命を祀り、その加護により勝利をおさめたという。 141
朱の随神門が印象的です。こちらの額には「奥州一宮」の文字が。 142
随神門の天井に龍が描かれており、神紋もありました。「丸に二つ引」のようです。 143
拝殿も朱色で美しい。 144
本殿は、流造でしょう。正面に千鳥破風があり、かつ唐破風の向拝付で贅沢な造り。しかも非常に美しい出で立ちです。 148

2012-04-08

三嶋大社

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お花見を兼ねて「三嶋大社」を参拝しました。境内には、15種200本の桜があるそうです。 031
鳥居をくぐると参道の両脇に池があり、桜が咲き乱れています。 005
神門の奥にも「三島桜」など・・・ 009
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感激。 さて三嶋大社の祭神は、大山祇命と事代主命であるが、大山祇命は、大三島に鎮座し伊予国一の宮である大山祇神社の祭神。三島の社名の類似から、大三島から勧請されたという説が古くからあるらしい。事代主命は、平田篤胤の説による。神紋は、「角切りに三の字」。大山祇神社も美保神社も「三の字」であることから、どちらの神様か意見が分かれるのだろうか。元は、三嶋は、「御島」から変化したもので、富士火山帯である、伊豆七島に代表される伊豆諸島の神で噴火や造島を神格化したものだと思われる。 拝殿は、見事な千鳥破風をもつ入母屋造り。 019
本殿は、重厚感あふれる三間社流造・銅板葺。 025
さすが、伊豆国一ノ宮でした。これにて42の一ノ宮参拝達成です。
おまけ↓    004

2012-04-07

静神社(常陸国二宮)

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常陸国二宮にして、延喜式神名帳の名神大社「静神社」へ参拝。この神社に参拝するために、今日は水戸の友人と静ヒルズカントリーでGOLF。ゴルフの調子は記事にもできないイカンともしがたい状態です。 さて、静神社は、主祭神は建葉槌命(たけはづちのみこと)、相殿神は手力雄命(たじからのみこと)・高皇産霊命(たかみむすびのみこと)・思兼命(おもいかねのみこと)である。建葉槌命は武神であるが又の名を名倭文神(しどりのかみ)といい日本で初めて織物を織りだされた神といわれています。 003
深い森の中の参道は静謐さを感じます。社名の「静」は、倭文(しづり、しどり)からの転訛とされている。 004
階段を上がるとまず唐門があり、その奥に拝殿<銅板葺入母屋造(平入、唐破風付)>・中門・本殿と続く。 006
神紋は「桜」のようです。女神か? 011
本殿は神明造り。やはり千木(水平)・鰹木(6つ=偶数)がはなぜが「女神」形式でした。 常陸の国風土記に「綺日女(かむはたひめ)の命」という機織りに女神が登場します。元はこの綺日女(かむはたひめ)の命が祭神だったのかもしれませんネ。

吉田神社(常陸国三宮)

続いて、常陸国三宮「吉田神社」を参拝。水戸市の南に位置しています。 014
ご祭神は「日本武尊やまとたけるのみこと」。東夷平定の帰途、常陸を過ぎて兵をこの地朝日山に留めて憩わせた故事を以って、この地に神社を創建し尊を奉祀した。尊の御休憩の場所は今日も三角山と称し境内見晴台の一角を占め、神聖な処として伝え残されています。こちらも延喜式神名帳 名神大社です。 015
参道右脇に見事な大木がありました。 021
神門をくぐると、拝殿。神紋は「三つ巴」のようです。 本殿は、きりっとした神明造りでした。 026
境内右にかなり大きな枝垂桜が見事に咲いておりました。 024

2012-03-31

磐井神社




























東京にある数少ない式内社の一つ。大森海岸駅そばにある「磐井神社」。ご祭神は、応神天皇・大己貴命・仲哀天皇・神功皇后・姫大神である。





























扁額には「武蔵国八幡総社」の文字が。八幡さまだったようだ。






























本殿は流造でした。こじんまりとした境内でした。



2012-03-25

世田谷八幡宮































この鳥居の写真が撮りたくて世田谷八幡宮も参拝してきました。八幡様でもなかなか見られない「八幡鳥居」です。反りなしの純正は滅多に見られません。
世田谷八幡宮は、由緒によると源義家によって創建されたという言い伝えがあるそうです。

寛治五年(1091年)時の「後三年の役」の帰途に、源義家がこの宮の坂の地で豪雨に会い天気快復を待つために滞在。後三年の役での戦勝は、源氏の氏神たる八幡大神の御加護によるものとし、豊前宇佐八幡をこの地に勧進したことにはじまるということです。


江戸時代より、奉納相撲がおこなわれており、境内には土俵もありました。今は秋の例祭で学生相撲が行われるそうです。


神紋は、当然ながら「三つ巴」でした。



松陰神社(世田谷)

Img_0883娘の卒業式で、アッシーがわりに近くまで来たので、このチャンスを逃してなるものかと「松陰神社」に参拝に来ました。 

松陰先生は安政6年10月27日、安政の大獄に連座し江戸伝馬町の獄中にて30歳の若さで刑死されました。 その4年後の文久3年、松陰先生の門下生であった高杉晋作、伊藤博文、等によってこの世田谷若林の地に改葬されました。

神社所在地一帯は江戸時代から長州毛利藩藩主毛利大膳大夫の別邸のあったところで大夫山と呼ばれていたそうです。 明治15年11月21日松陰先生門下の人々が相謀り、墓畔に社を築いて先生の御霊を祀り忠魂の鎮座するところとなりました。今日の社殿は昭和2年から3年にかけて造営されたものです。祭神名は「吉田寅次郎藤原矩方命」です。

神紋・社紋は、松陰先生の家紋を使用しているようです。社務所の扉にありました。「 五瓜に卍」Img_0899
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境内には、萩の松下村塾を模したものや、松陰の50年祭に際して寄進された伊藤博文、木戸孝正、山縣有朋、桂太郎、乃木希典、井上馨、青木周蔵などの名前が刻まれ26基の燈籠があります。 Img_0893 

そして、吉田松陰先生の墓碑をはじめとして、頼三樹三郎、小林民部、来原良蔵、福原乙之進、綿貫次郎輔、中谷正亮、其の他烈士の墓碑があります。


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 ご朱印をいただき、勝守りを買って来ました。