2010-08-10

須我神社

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旅行10社目となる神社は「須我神社」。ご祭神は、「須佐之男命」。須佐之男命が八岐大蛇退治の後に建てた宮殿が神社になったものと伝え、「日本初之宮(にほんはつのみや)」と通称される。八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した須佐之男命(すさのおのみこと)は、稲田姫と共にこの須賀の地に至り、美しい雲の立ち昇るのを見て、「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる この八重垣を」と歌い、日本で始めての宮殿を作り、鎮った。
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神紋「亀甲に八雲」だ。それほど大きくない境内だが、なにかしらおちつきのある神社だ。
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熊野大社

本日最後の参拝場所「熊野大社」へ。出雲の国一の宮で出雲大社(こちらも一之宮)よりも実は格は上なのだ。
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ご祭神は、加夫呂伎熊野大神櫛御気野命(かぶろぎくまののおおかみくしみけぬのみこと)。素戔嗚尊とされている。神紋は「一重亀甲に大の字」
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奈良時代の天平5年(733)に編纂された『出雲風土記』にすでに「熊野の大社」と記され、平安時代の延長5年(927)に完成した『延喜式神名帳』にも熊野坐神社と記載されている古社だ。境内右側に、神器の火鑽臼(ひきりうす)と火鑽杵(ひきりきね)を保管する鑚火殿(さんかでん)があった。
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出雲大社の宮司が「古伝新嘗祭」に使用する燧臼、燧杵を受け取るために熊野大社を訪れる。この神器を授け渡す儀が「亀太夫神事」と呼ばれるもので、出雲大社が納める餅の出来ばえについて苦情を口やかましく言い立てるのだ。格の違いを見せつけるおもしろい神事だ。休憩所に神事の絵が飾られていた。
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やはり社殿もりっぱだ。
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これにて、本日の神社巡りは終了。一路松江市内へと向かいます。

2010-08-09

宮島 厳島神社

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日本三景の一つにして世界文化遺産 宮島 へ。宮島口からフェリーに乗り10分。目指すはもちろん「厳島神社」。厳島神社の創建は推古元年(593年)、その後、仁安3年(1168年)、平清盛によって寝殿造り様式(平安時代貴族の邸宅建築様式)を取り入れ現存の規模に造営されたものだ。
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ご祭神は宗像三女神(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)。ご神紋は「三つ亀甲に剣花角」(↑写真)。本殿は、繊細かつ華麗な切妻両流造り。平舞台、高舞台、能舞台、反橋と国宝・重文が満載。さて厳島神社は、珍しく北面している。後方(南)には、「弥山(ミサン)」が聳える。これがご神体かな。そして、大鳥居、宮島外宮と言われる「地御前神社」、「極楽寺」「極楽寺山頂」と北へ一直線へ連なる。弥山本堂に祀られる「毘沙門天(北の守り)」からすると妙見信仰の具現化がみられたものであろう。
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神社の朱と海の青と山の緑。美しかぁ。さすがに外国人観光客も一杯。秋の紅葉季節にもう一度訪れてみたい。

せっかくなので、ロープウェイで獅子岩まで登ることに。
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そして瀬戸内海の美しい風景を満喫。
09_Photo散策途中で大きな杓子の写真もパチリ。昼食はもちろん「名物 あなごめし」。
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名残惜しいが宮島を後にして、いざ石見国へ。

石見国一之宮 物部神社

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島根県 まず最初に参拝に訪れてのは「石見国一之宮 物部神社」。もちろんかの物部氏に由来する神社だ。ご祭神は、物部氏の初代の宇麻志摩遅命(ウマシマジノミコト)。相殿の右座に物部氏祖神で主祭神の父神である饒速日命と所有していた剣の霊神である布都霊神、左座に天御中主大神と天照皇大神、客座に別天津神と見られる五神と鎮魂八神を祀る。ご神紋「ひおい鶴」。宮中でも行われる鎮魂祭を行う神社としてはずせない。<ちなみに宮中では11/22、同日に石上神宮でも行われる。物部神社は11/24。>
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当社の手水石は富金石という砂金を含んだ石。五つの勾玉の形に彫られている。広い境内と静かなたたずまいの神社であった。
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須佐神社

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本日のメイン「須佐神社」を参拝。須佐之男命を主祭神とし、妻の稲田比売命、稲田比売命の両親の足摩槌命・手摩槌命を配祀する。須佐之男命の御終焉の地として御魂鎮の霊地、又御名代としての霊跡地であり、大神の本宮として大神奉祀の神社中殊に深い縁を有している。鳥居脇の社号標には「須佐大宮」と刻まれている。鳥居、隋神門、拝殿、本殿と少しずつ左にずれているのに気がつく。ご朱印をもらう時に禰宜さんに尋ねると、お帰りになる際にお尻をむけるので失礼にならないようにずらしているとのこと。ご神紋は「二重亀甲に蔓柏」。スサノオが出雲の国造りを終え、根の国の熊成の峰から柏の葉を投げたことからきているか。明日参拝する日御碕神社も「三つ柏」紋である。
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さて、この須佐神社には七不思議の伝えがある。

1・塩井(しおのい)
須佐之男命がこの潮を汲み、この地を清められたといわれている。この塩井は出雲大社の稲佐の浜に続いており、湧出に間渇があるのは潮の干満に関係があるからだとか。内用浴用に使うと元気になるという。
2・神馬(しんめ)
神社に奉献された馬は、どんな毛色の馬でも年を経るに従って白馬に変わるという。吉凶禍福(良いこと悪いこと、災いと幸せ)や国の大事を予知するといわれている。
3・相生の松(あいおいのまつ)
本殿の裏に雄松、雌松が一本になった松があった。今は枯れてなくなった。
4・影無桜(かげなしさくら)
昔、隠岐の国で稲が実らないときがあった。その原因は須佐大宮の境内の大きな桜が隠岐に影をもたらしたからということだった。桜を切ったことにより隠岐に稲が実るようになったが、その切り株から生えた桜は枯れずに今も残っている。
5・落葉の槇(おちばのまき)
須佐之男命の妃神である稲田姫がお産をされたあと、産具を槇(柏)の葉で包み、それを松の葉で綴って川に流した。それが、流れ着いたところに「槇と松」が生えたという。
6・星滑(ほしなめら)
須佐の中山の頂上あたりに、白い斑点がある岩盤がある。それが白く輝いて光が大きい年は豊作、光が小さい年は不作だという。
7・雨壺(あまつぼ)
神社の西を流れる素鵝川をずっと下った田の中に岩がある。その岩の穴をかき回すと須佐大神の怒りで洪水が起きるといわれている。

以上の7つだ。塩井は宮崎の西都にある「鹿野田神社」と同じだ。
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本殿は見事な大社造り。大杉と一緒に失礼ながら後方より撮影されて頂いた。

朝山神社・長浜神社

今日は、出雲駅前に宿泊予定。ホテルへ入る前に、「朝山神社」へ。朝山神社は、式内社・浅山神社に比定されている古社で、出雲国風土記に「浅山社」とある神社。ご祭神は、眞玉著玉之邑日女命(またまつくたまのむらひめ)。旧暦10月1日~10日に神在祭が行われ、ここに集まった神々は11日に出雲大社に向かうといわれている。すなわち最初に、神在祭が行われる神社だ。
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ご神紋は、「百合の葉」。さすがに誰一人参拝者はいませんでした。
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このあと、「長浜神社」へ参拝。
長浜神社は、国引きの綱の「薗の長濱」の地に鎮座し、国引きの神「八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)」を主祭神としてお祀りしている。
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「朝鮮半島の新羅の岬に余った土地があるぞ」と見つけられ、「国来い」と引き寄せて縫い合わせていかれました。
こうして出来た土地は島根半島の西端の杵築の岬の一帯です。この土地をつなぎとめるために立てた杭は三瓶山です。また引いた綱は長浜がそれです。写真は稲佐の浜から見えた三瓶山です。
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国引きの時の土地鎮めに使われた要石が境内右後方に祀られていました。
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なぜか三輪鳥居が???そうそう神紋は「五七の桐」でした。

今日の参拝はこれにて終了。夕食は、ネットで調べた出雲市内の「とみ田」というお鮨やさんに行きました。地物のお魚とおいしいイカなどを満喫。お酒はなぜか黒霧。やっぱり宮崎にいた者としては、黒霧が最高です。
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2010-07-31

麻賀多神社 奥宮・大宮

今日は、先日 81の自己ベストを出した「成田フェアフィールド」でプレー。しかしドライバー全くとい行っていいほど駄目。左肩が最近痛いという言いわけを割いびいても酷過ぎた。また、暑さから集中力も途切れがち、45:46の91とまたも80台にとどかず。しかし、真夏のゴルフは過酷だ。

さて、帰りに成田にある式内社をお参りして帰宅した。「麻賀多まかた神社」。奥宮と大宮と二つある。まずは、「奥宮」を参拝。ご祭神は「稚産靈命 ワクムスビノミコト」。神産みの際、火の神・火之迦具土神(カグツチ)を生んで火傷をし病に伏せった伊邪那美命(イザナミ)がしたゆまり(尿)から生まれたとされる(古事記で)。穀物・養蚕の神だ。
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ご神紋は、一目瞭然の「巴紋」しかし、これからいく大宮は、「麻の葉」なのだが、どうして「奥宮」は巴なのか?公津原古墳群(39号墳 分墳)と呼ばれる印旛国造・伊都許利命の墳墓が境内にある。その看板を見ると「伊都許利神社社務所」とある。奥宮は、伊都許利命(神武天皇の皇子神八井命の8代目の御孫)とかなり関係が深いのだろう。
伊都許利命は杉の木の下から7つの玉を掘り出し、それを神体として和久産巣日神を併せ祀ったらしい。この2神は「真賀多真(勾玉)の大神」と呼ばれた。さて奥宮をあとにして「大宮」へ。

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こちらは、今日行われる「例祭」の準備に忙しそうだった。拝殿前には神輿が。
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神紋もしっかり確認した。まさに「麻の葉」紋。
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当社のご自慢は、なんと言っても「東日本一」と謳われる大杉のご神木だろう。
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確かにすばらしい。
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由緒
今から約千三百七十年前 (聖徳太子時代)現在の稷山に新 たに宮殿を建て麻賀多大宮殿と 称された、此の大杉は其の当時に 植えられたもので太さ八m高さ四十m 餘りで其のお姿は誠に威容 其のものであります正に東日本一と 云われる此の大杉(御神木)は遠い遠い 昔の日本の歴史を物語ると共に かつ多くの伝説を秘めた此の年輪の 雄大さは千古不動の御神威と 御神徳が示されて居ります今日では 特に不老長寿祈願の御神木として 崇拝され昔から多くの祈願が行なわれ 大願成就前には稍えより霊光が輝き 神のお告げがあると云い傳へられて居ります

2010-07-19

安房神社・洲崎神社

安房国には、一之宮が二つある。1つは、「安房神社」もう1つは「洲崎神社」。安房国は、その昔、四国の忌部一族が海を渡って住み着いたとされており、その始祖神である「天太玉命アメノフトダマノミコト」とその后である「天比理刀咩命アメノヒリキメノミコト」をそれぞれの神社が祭祀している。さて渋滞覚悟で、館山方面へかみさんとでかけたが、さほど混むこともなくあっさり館山へ。嬉しい誤算。さてまずは「安房神社」へ。020
まっしろな「神明鳥居」が印象的だ。安房神社は、上の宮と下の宮のニ宮が境内にある。上の宮のご祭神が「天太玉命」で下の宮は、安房に渡った「天富命」である。
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神紋は「菊花」紋と「陰酢漿草紋」だが、建物には「菊花」紋しか使われていないようだ。お札売り場の幕に「陰酢漿草紋」があったので撮影させてもらった。 *酢漿草・・・かたばび
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続いて、「布良崎神社」へ寄った。ここは、元の安房神社があった場所だ。神社そのものは、寂れて規模も小さいが、写真をご覧あれ!!
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ニの鳥居、一の鳥居、広がる海、そしてその先には少し雲に隠れていますが「富士山」。(クリックして拡大すると見えるかな?)しかし、あの電柱はどうしようもない。T電力さん ありえない無作法さです。
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ご祭神は天富命。後に須佐之男尊、金山彦尊を合祀しているらしい。布良崎神社の大神輿は須佐ノ男尊(すさのおのみこと)を祭り、神輿「大天皇様」と呼ばれているそうです。



さてもう一つの一之宮「洲崎神社」へ
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「洲崎神社」本殿は、めちゃめちゃ急な階段を登ったところにあります。そして後方の御手洗山全体が神域である。神紋は「十六菊」紋のようです。
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そして、ここも参道が海へ続いているのです。
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ご朱印をもらう合間に砂浜へ行ってみました。
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海に向かって神明鳥居がたち、やはりその向こうに「富士」が。
再び感動[E:think]

2010-07-03

相模国一之宮 寒川神社

今日は、神奈川県 厚木インターから北へ40分程いった「長竹カントリー」というところでプレーをした。ゴルフは、45:46=91と久しぶりの90台と精彩をかいた。

せっかくこちらまで来たので、帰りに「相模国一之宮 寒川神社」へ参拝。
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現在のご祭神は、寒川比古命 寒川比女命。しかし、実はこの祭神は大正時代に確定されている。本来のご祭神はどなたなのか?不明らしい。神紋の三つ巴からすると、八幡神かスサノオが本来のご祭神かもしれない。比女が配祀されている点からみると、スサノオ・櫛稲田姫というペアが妥当だろうか。

一の鳥居から1km北へ参道が伸びており、現在の境内は三の鳥居と石橋(上写真)から始まる。
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夕方の優しい風が抜ける両脇の木々を抜けてしばらくすると、見事な楼門が目に飛び込んでくる。
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楼門をくぐると、東西の回廊をもつ、拝殿・本殿(権現造り)が目の前に。
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本殿は、珍しく西南を向いていた。東京の裏鬼門を護っているかのようだ。
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そもそも「寒川神」とはなんなのか?神紋の「流れ三つ巴」からすると、やはり水神との説が正しい気がする。