2007年単身赴任先宮崎で土日の楽しみとして巡った「神社」の奥深さに惹かれ、それ以来神社探訪を続けています。神社の位置・ご祭神・神紋・鳥居・本殿を中心に気ままに書きなぐっています。ご訪問ありがとうございます。
2013-04-29
千葉県 浅間と熊野
より大きな地図で 千葉の浅間神社&熊野神社 を表示
千葉県には、浅間神社と熊野神社がびっくりするほど多く鎮座しています。Google Map でプロットしてみました。
ほとんど県内全域に拡がっています。「浅間神社」は、富士山が見える千葉に多いのでしょう。しかし、「熊野神社」も異常に多い。これは、海により紀州と深いつながりがあることを物語ってますかね。
2013-02-25
鶴谷(つるがや)八幡宮
今日は、お休みを利用して、まだ行けていない「安房国式内社」を5社ほど参拝して来ました。
平安時代初期、国府近くの三芳村府中(現在の南房総市)に安房国総社として創建された。安房国一の宮安房神社をはじめ年に一度、国内諸社が参集して盛大な大祭がひらかれた総社としての格を誇っていたが、源頼朝が幕府を開いて諸国に守護・地頭を設置するようになって以降、国司の権勢は衰え、総社の崇敬も衰退していった。源氏は八幡大神を氏神として崇敬しており、遂には総社も八幡宮と改称され、鎮座地も鶴岡八幡宮に模したように海辺を望む現在地に移転したという。
その前に、途中にある館山の「鶴谷(つるがや)八幡宮」にも寄りました。
境内には、安房神社遥拝殿があります。
ご神紋は、「三つ巴」ではなく、「五七の桐」でした。
本殿は「三間社流造」のようです。
下立松原神社(白浜町)、天神社
さてここからが「式内社」巡りです。まずは館山を跡にして、南へ一直線。房総半島の一番南からスタートして北上して行きます。
下立松原神社です。この神社は論社が二社あります。まずは「白浜町」からです。ここには式内社「天神社」が合祀されていますので、一度に二社参拝できます。
ご祭神は、天日鷲命(あめのひわしのみこと)です。安房国の古社は、阿波忌部氏の神様が祀られていることが多く、こちらも忌部氏の祖神をお祀りしています。また、天太玉命・天富命・伊弉諾命・伊弉册命も合わせて主祭神とし、阿八別彦命・須佐之男命を配祀するほか、近隣の神社の合祀により以下の18柱の神も祀っている。
境内は、思った以上に広く、鳥居から拝殿までかなりあります。静かな佇まいの神社です。
ご神紋は「五瓜に唐花」紋です。どうしてでしょうか?後ほど調べなければ。
本殿は、庇を持つ神明造りのようです。
昭和初期に合祀された天神社(式内社)は、本社拝殿向かって右手に並んで作られていました。
下立松原神社(千倉町)
高家神社(たかべ)
式内社「高家神社」は、「料理の祖神」を祀る神社として有名です。そのご祭神は、磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)です。
大彦命の孫と伝えられ、日本書紀によれば、景行天皇は皇子・日本武尊の歿後、その東征の縁の地を歴訪したが、安房国の浮島宮に行幸したとき、侍臣の磐鹿六雁命が堅魚と白蛤を漁り、膾に調理して天皇に献上した。
天皇はその料理の技を賞賛し、磐鹿六雁命に膳大伴部の姓を与え、その子孫の高橋氏は代々宮中の大膳職を継いだ。
磐鹿六雁命は宮中・大膳職の醤院で醸造・調味料の神「高倍神(たかべのかみ)」として祀られていたようです。
境内には「包丁塚」があります。
拝殿は、非常に美しい茅葺屋根をもちます。
神紋は「三つ巴」のようです。
本殿は、神明造りのようです。もともと「神明社」だったようです。
莫越山神社(なこしやま) (沓見)
莫越山神社(宮下)
もう一つの式内社論社 宮下にある莫越山神社です。
鳥居の先にある境内の後方が<莫越山>です。
鎮守の森といった感じの佇まいです。ご祭神は、同じく 手置帆負命 彦狹知命 です。莫越山山頂には奥宮があるそうです。
本殿は、覆屋の中にあるのでしょう。確認できませんでした。
こちらの神紋は「五三の桐」のようです。
覆屋後方に、見事なご神木がありました。
2013-02-02
出雲乃伊波比神社(寄居)
本日は、関越道「本庄児玉」近くでゴルフ。いつものように早く出かけて神社参拝をして来ました。花園ICを降りて、寄居町(男衾郡)にある式内社論社を3社。そして本庄児玉付近の1社です。
まずは、「出雲乃伊波比神社(寄居)」へ。ご祭神は、なぜか須佐之男命と三穗津姫命、天照大神、誉田別命、天児屋根命他とある。
出雲乃伊波比神社という名前のわりに伊波比主神(経津主神)が祀られていないのが不思議だ。
調べてみると、武蔵国造物部氏の氏神を祀る神社であったが、源頼義が奥州征討の戦勝祈願を行ったとされることから八幡社として崇敬されるようになり、明治三十三年に本来の名前に改称されたとある。武蔵国造物部氏の氏神を祀る神社であったのだから、やはり元は、出伊波比主神(経津主神)を祀っていいたのであろう。
まずは、「出雲乃伊波比神社(寄居)」へ。ご祭神は、なぜか須佐之男命と三穗津姫命、天照大神、誉田別命、天児屋根命他とある。
出雲乃伊波比神社という名前のわりに伊波比主神(経津主神)が祀られていないのが不思議だ。
参道はまっすぐ北に伸びています。両脇を木立が囲んでいます。
本殿は、一間社流造のようです。
神紋は「三つ巴」紋。
小被神社(寄居)
次に小被(おぶすま)神社。先ほどの出雲伊波比神社の近くに鎮座しています。
第27代安閑天皇の時に、土地の豪族富田鹿(とみたろく)が地主神である小被神を祀ったことにはじまるという。恐らくは男衾郡の部民を支配した壬生氏の祭祀する神社だったようです。森の奥に、小さな拝殿はありました。
ご祭神は、邇邇藝命(ニニギ命)・木花佐久夜毘売命(コノハナサクヤ毘売命)・穂穂手見命(ホホデミ命)のようです。
みか神社
2013-01-05
高麗神社
今日は、埼玉県入間にてゴルフ。早く出かけて6時45分「高麗神社」に参拝。
668年に唐・新羅に滅ぼされ亡命して日本に居住していた高句麗からの帰化人を朝廷はこの地に移住させた。主祭神である「高麗若光(ジャッコウ)」は、朝廷の命により高麗郡の設置にあたって他の高句麗人とともに高麗郡の地に移ってきたものと推定されている。
神門の扁額には「高句麗神社」の文字がみえる。高麗とは「コウライ」ではなく「コウクリ」ということがわかる。
神紋は「鶴の丸」紋でした。鎌倉の鶴岡八幡宮と同じです。
拝殿と本殿は何造りかちょっとわかりませんでした。
神社右手の山道があったので登ってゆき奥宮らしき場所にも参拝してきました。
少しずつ朝日が当たり始めてきました。
神門の扁額には「高句麗神社」の文字がみえる。高麗とは「コウライ」ではなく「コウクリ」ということがわかる。
神紋は「鶴の丸」紋でした。鎌倉の鶴岡八幡宮と同じです。
拝殿と本殿は何造りかちょっとわかりませんでした。
神社右手の山道があったので登ってゆき奥宮らしき場所にも参拝してきました。
少しずつ朝日が当たり始めてきました。
2013-01-04
靖國参拝そして築土神社へ
2012-11-10
彌彦神社
越後国一の宮「彌彦神社」を参拝。弥彦山を目の前に、かなり大きな両部鳥居が建っている。高さ30.16m。現在、第3位の大鳥居だ。(1位 熊野本宮大社 大斎原大鳥居 2位 大神神社 大鳥居)
彌彦神社の鳥居は、「彌彦鳥居」と名付けられている。両部鳥居で、台輪の部分に屋根がつけられており独特のものである。
駐車場から近い同じく東の鳥居にも台輪に屋根がついていた。この日は、菊まつりの開催で境内は残念ながら多くの人で騒がしかった。
一度、一の鳥居から、参拝しなおす。
参道は、木々に包まれて神域を感じることができる。
均整のとれた随心門を抜けると、ご社殿と正面に弥彦山が見える。
ご祭神は、伊夜彦神(天香久山命)である。延喜式内社 名神大社の古社。
神紋は、2つありました。
「花菱に大」
「丸に大」の2つです。
本殿は境内からは見えにくかったので、森の方から撮影。
立派な「三間社流造」でした。
最後に旧本殿跡に寄りましたが、こちらか一番気が張り詰めた独特の雰囲気を醸し出していました。
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