2011-04-16

甲斐一の宮 浅間(あさま)神社

高遠から戻り、この日は富士山をご神体とする「浅間」神社巡りだ。昨年に総本山で富士宮市にある「富士山本宮浅間(せんげん)大社」へ参拝したが、今回は甲斐の国からいくつかの浅間神社をめぐることに。「浅間」は「せんげん」と読む神社と「あさま」と読む神社があるので気をつけたい。まずは、杖突峠を越えて、山梨へ戻る。この時期、甲府盆地は、桃の花が咲き乱れそれは美しい風景を見せてくれる。
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「甲斐一之宮 浅間神社」へ到着。旧国幣中社にして延喜式 式内社名神大社である。国道沿いの見事な明神鳥居が目を引く。
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ご祭神は、木花咲耶姫。神紋は「桜」。十六八重菊ばかりでなかなかみつからなかったが、ありました。拝殿内の神灯に。
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境内には、綺麗なしだれ桜。
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当神社のひとつの楽しみに、十二支巡りがあります。拝殿右奥へ向かうと、写真↓のような祓門があり
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そこをくぐると、かわいい干支の石像が並んでいます。
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もちろん、十二体。自分の干支の前で願い事を!!
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拝殿は入母屋唐破風向拝造り銅板葺のようです。これにて37の一の宮を参拝。

河口浅間(せんげん)神社

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次に訪れたのは、河口湖畔に鎮座する「河口浅間神社」。こちらも延喜式内社名神大社だ。いきなりの大杉の参道に感動。
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ご祭神は、木花咲耶姫。神紋は「桜」と「羽団扇」。羽団扇は社紋かもしれない。
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こちらの神域は、七本杉が醸し出す圧倒観と静謐さに言葉を忘れるであろう。
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七本の大杉にはすべて名がつけられている。1番「御爾(みしるし)」は樹齢1200年だそうだ。
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きてよかった。本殿は、一間社流造銅板葺のようです。
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富士御室浅間神社

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同じく河口湖畔(富士山側)に鎮座する「富士御室浅間神社」へ参拝。県社、別表神社である。富士山を背にする本宮は、重要文化財指定です。富士山中最古のお宮といわれ、北室浅間堂とも呼ばれた。
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本社本殿は一間社入母屋唐破風向拝造り。高欄付緑が回り、背部両脇に彫刻をはめ込んだ脇障子が立っている。柱上部破風木等金箔飾り金具を取り付け、内陣扉廻りに透彫彫刻をはめ込み、内部の彩色も当初のものをよく残した桃山時代の特色をもち、建立年時の確実な豪壮優雅な建造物である。
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里宮の拝殿は、参道から隋神門と伸びた方向から少し右に向いている。この正面方向が富士山なのだろう。

北口本宮富士浅間神社

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一の鳥居と参道を抜けると、度肝を抜くほどの大きな<17.7M>両部鳥居(二の鳥居)が我々を迎えてくれる。富士吉田市にある「北口本宮富士浅間(せんげん)神社」はスケールが違う。
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随神門も歴史を感じさせる重厚な造り。
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拝殿左に聳える「富士太郎杉」も圧巻だ。
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拝殿も向拝部に様々な彫刻がなされている。神紋はもちろん「桜」。
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ここは、富士登山への北からの登り口にもなっているようです。

2011-04-10

子守神社・三代王神社(千葉)

昨日、子安神社へ参拝したので、今日はチャリンコにて「子守こまもり神社」「三代王神社」を参拝。
まずは、子守神社。
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ご祭神は「稲田姫命・素盞嗚尊・大己貴尊」。建久五年(1194)千葉常胤の四男、大須賀四郎胤信によって創建され、かつて素加天王神社と呼ばれていたらしい。神紋は、千葉氏の流れを受ける「九曜に月」紋。
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本殿は見事な流造だった。
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次に「三代王神社」へ足を延ばす。御祭神:天種子命。武石氏の祖、武石三郎胤盛(千葉介常胤の三男)が建仁二年(1202)に武石郷の守護神として建立したと伝えられています。
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天種子命は、天児屋命(あめのこやねのみこと)の孫にあたり、中臣(なかとみ)氏の遠祖である。
やはりこちらも神紋は「九曜」紋です。
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本殿は、なに造りかわからない構造でした。???
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2011-04-09

子安神社(千葉:花見川区)

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散髪の帰りに、「子安神社」を参拝。
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桜の満開。ご祭神は、奇稲田姫命。船橋の二宮神社が、素戔嗚尊なので、夫婦の関係に有る。ご神紋は、千葉氏の影響でしょう。「九曜紋」です。
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7年に一度、丑年と未年に行われる「三山の祭り」と呼ばれる祭りがある。この祭は、千葉・習志野・八千代・船橋の4市の神社9社がそろって祭りに参加する祭りで、二宮神社(船橋市三山町)を中心とする農漁村の五穀豊穣祈願祭と、千葉市畑町の子安(こやす)神社と幕張町の子守(こまもり)神社を中心とする安産子育祈願祭とが一緒になった祭りだそうだ。残念ながら地元なのに見ていない。次回は2017年。