2008-08-17

大御神社

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日向の海岸沿いにある「大御神社」を訪ねる。007

皇祖天照大御神を御祭神とする古社で、創建の年月は詳らかではないが、当社に伝わる「神明記」その他の古文書によれば、往古・皇大御神・日向の国高千穂に皇孫瓊々杵尊を天降し給うた節、尊は当地を御通過遊ばされ、千畳敷の磐石にて、これより絶景の大海原を眺望され、皇祖天照大御神を奉祀して平安を祈念されてと伝えられ、後世、此の御殿の霊石の在りし所に一宇を建て、皇大御神を勧請し村中の鎮守と崇敬し奉ると言う。

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上の写真がその「神座」だ。この地は、あの君が代に謳われる<さざれ石>が見られる。

【さざれ石】 ( 細石 )
集まった小さな石の隙間が炭酸カルシュウムや水酸化鉄等で埋められ、小石がコンクリート状に凝結して固化したものを総称してさざれ石と呼んでいます。


そいうえば、北京オリンピック、中国の地で金メダルの度に、何度も「君が代」が演奏されるのが、小気味いい。

立磐神社と日本海軍発祥の地

宮崎に美々津という地がある。神武東征の時に、カムイワレヒコ(神武天皇)ら天孫族らが、この港(美々津の渡し)から大和へ向けて旅立ったとされる場所だ。

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そこに「立磐神社」はある。神武天皇と住吉三神を祀っている神社です。

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古くて小さな社であった。すぐそばに耳川が流れている。美々津の町並みは、昔の廻船問屋などが連なる趣のある場所であった。そしてこの神社の側には、日本海軍発祥の地の石碑が見事に立っていた。

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天気が悪く、文字が見えにくいが「日本海軍発祥之地」と彫られている。

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日本海軍は、天皇が統治された海軍である。このことから国が、神武天皇親率の水軍が初めて編成され、進発した美々津の地を「日本海軍発祥之地」と定め、紀元二千六百年記念事業の一環として建立された。碑文の文字は、時の内閣総理大臣海軍大将米井光政の揮毫により、碑面に刻記されたものらしい。この碑は、大東亜戦争の終戦直後進駐米軍によって碑文が破壊されたが、昭和44年、地元有志の強い要望により、防衛庁(海上自衛隊)などの協力を得て、現在の通り復元されたとのこと。宮崎に着たからには、とにかくここに来たかった。

都農神社

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日向国一ノ宮たる「都農神社」へ。大きな杉林の参道は、荘厳で圧巻。拝殿は、建て替えられたのだろうかなり新しかった。

都農神社は都萬・霧島・江田と並ぶ、日向式内四座の一社だ。都農神社由緒によれば神武天皇御東遷の際に、宮崎の宮を御進発になり、途中、都農において祭壇を設け、国土平安海上平穏武運長久神助を祈念したという。この鎮祭されたのを創祀と伝えている。しかし、ご祭神は、かの大巳貴命(おおなむちのみこと・大国主命)。そして摂社には、素盞嗚社(素盞嗚命) を祭る。上記のような由緒があり、しかも日向天孫族の中心地でありながら、何故に出雲系の大神が祭られているのか、前々から疑問だ。当然ながら、由緒にもこのことは何も触れられていない????