2013-11-03

走水神社

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走水神社は、景行天皇40年(110年)、日本武尊が東征の途上、当地から浦賀水道を渡る際、自分の冠を村人に与え、村人がこの冠を石櫃へ納め土中に埋めて社を建てたのが始まりと伝えられます。上総国へ船出した日本武尊は、海上で暴風雨に遭い、弟橘媛が海へ身を投じて暴風雨を鎮めました。数日後、海岸に弟橘媛の櫛が流れつき、村人は旗山崎(御所ヶ崎)に社を建てて櫛を納めた。この社が弟橘媛を祀る橘神社であったが、明治18年(1885年)に旗山崎が軍用地になり走水神社境内へ移され、明治42年(1909年)に合祀されました。 P1020897
弟橘媛が荒海を鎮めた故事に因み、航海の安全を祈念して建立された「舵の碑」が境内にありました。
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神紋は「十六八重菊」と「変わり向こう橘」です。
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屋根に小さく見えるのが「変わり向こう橘」紋でしょう。
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境内の左手奥に道が連なり、さらに上に「神明社」がありました。
P1020907 その途中に、弟橘媛命の歌碑が、東郷平八郎、乃木希典など七名士により建てられています。 P1020905 「さねさしさがむのをぬにもゆるひの ほなかにたちてとひしきみはも 」弟橘媛命、入水直前の歌です。

叶神社 東・本社・西

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横須賀には、八幡大神をお祀りする「叶神社」という縁起の良い名前の神社があります。浦賀港を挟んで、東に「東叶神社」と「叶神社本社」西に「西叶神社」です。
まずは、東より。
P1020917 養和元年(1181)神護寺文覚上人が京都、石清水八幡宮より勧請し創建されました。 その由縁は、文覚上人が源頼朝の為に源氏再興を発願し、治承年間(1177〜1180)上総国(千葉)鹿野山に参篭しました。源氏氏神と称え奉る石清水八幡の神に祈念をし、源氏再興の本願が叶えられれば勝地を探し求め八幡の一社を建立、末永く祭祀をせんと誓いをたてました。  ~ 御由緒より 東叶神社の左手を進んで、かなりの階段を上っていくと「本社」があります。これは疲れました。 P1020921
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その左手に勝海舟が咸臨丸出航前に、当地で断食修行をしたと伝えられる記念碑がありました。
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浦賀港の向こうが西叶神社です。少し大回りしなくてはいけません。
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***愛車と浦賀湾・・・向こう岸に「西叶神社」
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ご神紋は「双葉菊花」紋と思われます。
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こちらの額には「叶大明神」と書かれていました。 

2013-08-17

熊野皇大神社

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かなりの獣道なので、新車でヒヤヒヤしながら登ってきました。こちらは、なんと境内の真ん中に長野県と群馬県の県境があるのです。
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神社の石碑も2つありました。
群馬県側に鎮座されるのが「新宮」(祭神: 速玉男命)県境に鎮座されるのが「本宮」(祭神:伊邪那美命・日本武尊 長野県側に鎮座されるのが「那智宮」(祭神:事解男命)になります。当然、和歌山の熊野から勧請されております。 こちらは由緒ある、信濃国佐久郡の式内社(永倉神社)比定社です。
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長野県側にご神木「シナノキ」があります。樹齢:850年 樹高:13.5m 幹回り:5.8mの名木でした。

2013-08-16

建御名方富命彦神別神社

白馬より鬼無里(キナサ)を抜けて長野へ。信濃国水内郡の式内社にして名神大社論社である「建御名方富命彦神別神社」を参拝。善光寺の東隣にあります。
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ご祭神は、建御名方神とする説とその御子神とする説がある。
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拝殿は瓦葺・入母屋造。拝殿の左右に脇拝殿が付属しており、左側の脇拝殿には扁額が無かったのだが、 右側の脇拝殿には「地主大神」と記された扁額が掲げられているので中に地主大神が祀られているのかもしれない。 P1020302
左手には何故か扁額がありませんでした。
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本殿は、一間社流造のようです。神紋は「葵紋」です。

生島足島神社

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式内社名神大社にして旧国幣中社です。ご祭神 生島大神・足島大神の二神を祀ります。さて生島足島神とは?生島大神は「生み」の神、足島大神は「足る・満たす」の神とされ、 ともに日本総鎮守と仰がれる古い由緒を持つ大神とのことです。御名方命が当地へ(出雲から)下って来た時、二座の祭神が粥を奉仕したとされてますが、となると、この地方の地方神ということか。しかし、宮中にも祀られている生嶋巫祭神二座の生嶋神・足嶋神であり、国家天皇にとっては重要な神でもあるのです。一体?不思議です。
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神池が社殿を囲んでいるようです。
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神紋は「三つ巴」と「立梶の葉」紋。
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拝殿のすぐ近くにご神橋があります。
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本殿は流造でした。御本殿には床板が無く、土間の大地が 御霊代とされているそうです。

2013-08-15

手長神社(諏訪)

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2010年秋の諏訪訪問の折に、参拝しそこねた諏訪大社上社末社「手長神社」へ寄りました。ご祭神は、手摩乳命 (てなづちのみこと)。近くにある足長神社(参拝済み)と対をなす由緒ある神社です。
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神紋は諏訪大社と同じ「諏訪梶紋」のようです。
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拝殿は、横長につづいており、左手に回廊をもっています。
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本殿は、撮影しにくいですが、神明造りでした。

住吉神社(安曇野)

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諏訪を後にして、長野道を北上。「安曇野」に到着。古代にこの地に移住してきた海人族安曇氏に由来するというこの町は、西にある北アルプスに抱かれた美しい町です。
そして、当然のごとく<海の神>である住吉神社が存在する。
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大きな両部鳥居をくぐると、北へ向けて杉木立の参道続きます。
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ご祭神は、勿論 「表筒男命・中筒男命・底筒男命」そして「建御名方命・神功皇后」。
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本殿は、3間×2間の流造。もともとは柿葺だったところに銅板が葺かれている。向拝と母屋の組物を舟肘木としており、頭貫の上には菊の彫刻。千木と鰹木を3本乗せている点は、大阪の住吉大社と同じ屋根飾りとなっている。この地を治めていた八面大王を倒し、悪政から救ったとされる伝説が有名な坂上田村麻呂の銅像もありました。
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穂高神社

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式内社名神大社にして旧国幣小社「穂高神社」参拝です。穂高駅のすぐそばにあります。こちらが里宮で、上高地に奥宮、奥穂高岳山頂に嶺宮があるそうです。
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拝殿はかなり新しいもののようです。ご祭神は、本宮中殿に穂高見神(ほたかみのかみ)別名「宇都志日金析命(うつしひかなさくのみこと)」、左殿に綿津見神(わたつみのかみ)、右殿に瓊瓊杵神(ににぎのかみ)、別宮に天照大御神(あまてらすおおみかみ)、若宮に安曇連比羅夫命(あづみのむらじひらふのみこと)、相殿に信濃中将(御伽草子のものぐさ太郎のモデルとされる)を祀っています。
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神紋は少し変わっています。「十四弁葉菊花」です。
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本殿は、三棟。補高造りの鰹木は見えませんでした。残念。
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ご神木は見事な孝養杉です。
毎年9月26日・27日に行われる例大祭の御船神事(お船祭り)は高さ6m長さ12mにもなる大きな船形の山車(だし)「御船(おふね)」をぶつけ合う勇壮な祭りだそうです。こんな山里なのに面白いですね。
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神社入口近くには、安曇連比羅夫命(あづみのむらじひらふのみこと)の銅像もありました。

仁科神明宮

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宿泊地「白馬」へ向かう途中 「仁科神明宮」を参拝しました。この地へ来てここは外せません。創祀以来、皇大神宮にならって20年ごとに式年造替が行われており、永和2年(1376年)から大正8年(1919年)まで、20年ごとに行われた造替の際の棟札が一枚も欠かすことなく保存されている。500年以上の長きにわたり、一度も欠かすことなく式年造替が奉仕されてきたことは、全国においても例を見ないことである。 そして日本唯一の国宝の神明造り。
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杉の古木がうっそうと繁る宮山の南麗に鎮座し、東は大峯山系に連なり、西は田園地帯と高瀬川の清流を見下ろす、遠く北アルプス連峰を望むことが出来る。
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本殿は、切妻造平入り、桁行3間、梁間2間、軒高6.6m、棟木の長さ8.3m余の日本最古の神明造り。屋根は檜皮葺(ひわだぶき)で、棟木の上には巴紋をつけた勝男木6本が置かれている。破風板は、そのまま延びて千木となり、破風板にはそれぞれ4本の鞍掛があり、妻には棟持柱があるなど構造手法に古式がうかがわれ、神明造りの原形式を保存している点で、建築史上貴重な遺構である。
中門は、前殿あるいは御門屋ともいい、四脚門、単層で屋根は切妻造、檜皮葺である。本殿と同様破風板が延びてそのまま千木となり、鞍掛4本がついている。勝男木は4本である。
釣屋は、本殿と中門を連結するもので、本殿屋根と中門屋根間に棟木と桁をかけ、檜皮葺き・両下造(りょうさげづくり)の屋根をかける。柱・壁は設けない。
なお、社殿の国宝指定棟数は2棟(本殿と中門)とされ、釣殿は本殿・中門の付属という扱いになっている。
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静かで凛とした境内でした。感動!!
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2013-08-12

玉祖神社(たまおや)

今日は、下関から防府へ足を運び、周防国一の宮である「玉祖神社(たまおや)」を参拝です。国幣中社にして式内社です。
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一の鳥居から参道は真北に伸びており、神名備でしょうか真正面に西目山が見えます。
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ご祭神は、三種の神器の 一つである八坂瓊曲玉を造られた玉祖命です。玉祖命 は五伴緒神の一柱として中国地方を治められ、ここ大崎の地で 歿せられたと伝えられ社殿の北、約五百米にある玉岩窟(たまのいわや)はそ の墓所と云われています。神紋は何という呼び名なのでしょうか、勾玉の中に亀甲紋です。後で調べたいと思います。
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均整のとれた社殿です。
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本殿は、三間社流造でした。千木が3つに勝男木も3つと少し変わった造りをしていました。
これにて、一の宮 50社目となりました。