2007年単身赴任先宮崎で土日の楽しみとして巡った「神社」の奥深さに惹かれ、それ以来神社探訪を続けています。神社の位置・ご祭神・神紋・鳥居・本殿を中心に気ままに書きなぐっています。ご訪問ありがとうございます。
2012-03-31
磐井神社
東京にある数少ない式内社の一つ。大森海岸駅そばにある「磐井神社」。ご祭神は、応神天皇・大己貴命・仲哀天皇・神功皇后・姫大神である。
扁額には「武蔵国八幡総社」の文字が。八幡さまだったようだ。
本殿は流造でした。こじんまりとした境内でした。
2012-03-25
世田谷八幡宮
この鳥居の写真が撮りたくて世田谷八幡宮も参拝してきました。八幡様でもなかなか見られない「八幡鳥居」です。反りなしの純正は滅多に見られません。
世田谷八幡宮は、由緒によると源義家によって創建されたという言い伝えがあるそうです。
寛治五年(1091年)時の「後三年の役」の帰途に、源義家がこの宮の坂の地で豪雨に会い天気快復を待つために滞在。後三年の役での戦勝は、源氏の氏神たる八幡大神の御加護によるものとし、豊前宇佐八幡をこの地に勧進したことにはじまるということです。
松陰神社(世田谷)
松陰先生は安政6年10月27日、安政の大獄に連座し江戸伝馬町の獄中にて30歳の若さで刑死されました。 その4年後の文久3年、松陰先生の門下生であった高杉晋作、伊藤博文、等によってこの世田谷若林の地に改葬されました。
神社所在地一帯は江戸時代から長州毛利藩藩主毛利大膳大夫の別邸のあったところで大夫山と呼ばれていたそうです。 明治15年11月21日松陰先生門下の人々が相謀り、墓畔に社を築いて先生の御霊を祀り忠魂の鎮座するところとなりました。今日の社殿は昭和2年から3年にかけて造営されたものです。祭神名は「吉田寅次郎藤原矩方命」です。
神紋・社紋は、松陰先生の家紋を使用しているようです。社務所の扉にありました。「 五瓜に卍」
境内には、萩の松下村塾を模したものや、松陰の50年祭に際して寄進された伊藤博文、木戸孝正、山縣有朋、桂太郎、乃木希典、井上馨、青木周蔵などの名前が刻まれ26基の燈籠があります。
そして、吉田松陰先生の墓碑をはじめとして、頼三樹三郎、小林民部、来原良蔵、福原乙之進、綿貫次郎輔、中谷正亮、其の他烈士の墓碑があります。
ご朱印をいただき、勝守りを買って来ました。
2012-02-13
箱根神社
箱根神社境外摂社 九頭龍神社
朝8:40 元箱根遊覧船乗り場に集合。9:10 700名乗りの遊覧船にて九頭龍神社へ出発。
月次祭は、修祓・宮司一拝・献饌・大祓詞奏上・祝詞奏上と進んで行き、湖水神事へ。
神饌を湖水へ捧げ九頭龍様にお参りします。(約1時間です)
参拝者も、船に寄る前に頂いた御供を湖水へ沈めお祈り。貴重な体験でした。
このあと、歩いて箱根園へ向かい駒ケ岳山頂をめざすのですが、その前に「白龍神社」も参拝しました。
箱根神社元宮
箱根神社元宮は、箱根連山で一番高い駒ケ岳(1357m)の山頂にあります。寒風吹きすさぶ中、参拝してきました。といっても、箱根園からロープウェーで約8分であります。
赤い八幡鳥居と拝殿・本殿があるだけです。
それにしても山頂からの眺めは最高でした。
2012-01-08
大戸神社~香取神宮境外第二摂社
ゴルフの前に参拝。香取神宮第二摂社「大戸神社」。大栄ICから車で5-6分。老尾神社と共に、香取神宮大禰宜家香取氏が祀官として祭る神社。ご祭神は「天手力男命」である。しかし『日本地理志料』では天島船命、とし、また、『下總國舊事考』において清宮秀堅は「天島船命荒魂」であるべし、としている。たぶんこちらが正解かなと思う。
息栖神社(天島船命)-香取神宮-大戸神社は、東西一直線。この位置関係からして天島船命がしっくりきます。
拝殿は南面しており、朝日を浴びて美しい。社紋・神紋は当然香取神宮と同じ「五七の桐」と「三つ巴」。
本殿は、朱色の壁が鮮やかな三間社流造のようです。
本殿後方にご神木が並び(一番左は夫婦杉)、県社ならではの格を感じさせる神社でした。
ちなみにこの日の参拝は、朝7:40。手水舎の水が凍っていました。
佐原 諏訪神社
佐原 八坂神社
2011-11-27
楯縫神社 ニ座
ゴルフの時間が遅いので、早めに出発して、延喜式内社である茨城 美浦にある「楯縫神社」神社を参拝。
まずは、木原にある「楯縫神社」へ。こちらが式内社といしては有力みたいだ。

一の鳥居を過ぎると、200mくらいの参道が続く。

ちょうど中間くらいに二の鳥居がある。

境内は、紅葉により静謐感が漂っている。

ご祭神は、「普津主命」である。推古天皇十六年(608)の創祀。普津主命が兜楯を脱いでこの地に残された故事にちなんで楯脱ぎ(楯縫)の社号となったという。神紋は「三つ巴」のようだ。

本殿は、一間社流造。古びた神社であるが、静かで凛としたところが気に入った。

次に信太にある「楯縫神社」。

鳥居の横にある杉の木は見事だ。ご祭神は「経津主命」。木原とは字が違うが同じ神である。

こちらも鳥居をくぐると100mほど参道が続く。

本殿は、同じく流造。
さて、楯縫神社は、忌部系氏族「楯縫連」の祖神とされる彦狭知命という説がある。千葉・茨城は元は出雲系であることから、こちらの説が正しいような気がする。
まずは、木原にある「楯縫神社」へ。こちらが式内社といしては有力みたいだ。
一の鳥居を過ぎると、200mくらいの参道が続く。
ちょうど中間くらいに二の鳥居がある。
境内は、紅葉により静謐感が漂っている。
ご祭神は、「普津主命」である。推古天皇十六年(608)の創祀。普津主命が兜楯を脱いでこの地に残された故事にちなんで楯脱ぎ(楯縫)の社号となったという。神紋は「三つ巴」のようだ。
本殿は、一間社流造。古びた神社であるが、静かで凛としたところが気に入った。
次に信太にある「楯縫神社」。
鳥居の横にある杉の木は見事だ。ご祭神は「経津主命」。木原とは字が違うが同じ神である。
こちらも鳥居をくぐると100mほど参道が続く。
本殿は、同じく流造。
さて、楯縫神社は、忌部系氏族「楯縫連」の祖神とされる彦狭知命という説がある。千葉・茨城は元は出雲系であることから、こちらの説が正しいような気がする。
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