2009-07-12

止上神社

026

梅原猛「天皇家のふるさと日向をゆく」に掲載されている、鹿児島県国分市にある隼人(ハヤト)の神を祀っていたといわれる止上神社を見つけた。現在のご祭神は、彦火火出見尊であるが、後方の尾群山を御神体としている。姿が美しいので写真を一枚。

2009-07-05

八坂神社

029

京都では、賀茂別雷神社と八坂神社へ参拝。まずは、八坂神社を紹介。大学時代4年間でたぶん一度だけ、それも通り過ぎただけかもしれない祇園社「八坂神社」は、言わずと知れた「素盞嗚命」をお祀りする神社で、その総本山ともいえる。また、櫛稲田姫はじめ、八人の御子が揃って祀られている。八人の御子とは、八島茶見命(八島野尊)・五十猛尊・大屋津比賣命・抓津比売命・大歳神・宇迦御魂神・大屋毘古命・須勢理比売命である。明治以前は、「祇園感神院」あるいは「祇園社」と称していたが、明治の神仏分離により、八坂神社となった。素盞嗚尊は、牛頭天王(ごずてんのう)と同一視され、牛頭天王は武塔天神とも称する、厄神である。薬師如来を本地仏としている。

上の写真は「西楼門」です。下の写真が「本殿」です。

030

賀茂別雷神社

025

山城国一ノ宮 賀茂別雷(かもわけいかずち)神社。通称:上賀茂神社。ご祭神は、賀茂別雷命。賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社である。

社伝:「日向国曽の峰に降臨した賀茂建角身命は、神武天皇を先導して大和の葛木山に宿り、さらに山代国岡田の賀茂に移り、その後、久我国の北山基に鎮座。丹波国神野の神伊可古夜日売を娶り、玉依日子・玉依売が生まれた。ある日、玉依日売が石川の瀬見の小川で川遊びをしていると、丹塗矢が川上から流れ下って来た。これを床のまわりに置いていたところ、玉依日売は妊娠し、男子を産んだ。成人し、建角身命が、「汝の父に酒を飲ましめよ」と言ったところ、天に向かって杯を手向け、昇天した。それが、祭神:賀茂別雷命である。」

果たして、賀茂別雷命とは?下鴨神社のご祭神が、賀茂建角身命。また名を八咫烏。社伝によると、賀茂別雷命の祖父らしいが、上・下の関係をみると少し怪しい。もし祖父・孫の関係なら、上賀茂が、建角身命で、下鴨が別雷となるのが普通だ。すると賀茂別雷命とは?などと考えながら参拝するが楽しい。

さて下の写真は、細殿と盛塩の起源といわれる「立砂」で、ご神体の神山(こうやま)<神社北2キロの山>をかたちどったものらしいです。

026

2009-07-04

三輪山へ

009_3 大学時代の合唱団の記念コンサートのため京都へ。夕方のコンサートなので、朝から出かけ、大阪空港からレンタカーを借りて、兼ねてから行きたいと思っていた「三輪山」へ向かった。大和の神奈備として、古代最も尊崇された「大神神社」に行かねば。。。。

味酒(うまさけ) 三輪の山 青丹(あおに)よし 奈良の山の 山の際(ま)に い隠るまで 道の隈 い積るまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放(みさ)けむ山を 情(こころ)なく 雲の隠さふべしや {額田王}

写真は、パンフレットなどによく載っている、御神体「三輪山」と大鳥居が見える場所を探して撮ったものです。いい場所が見つかりました。

大神神社

002_4 





























古代日本史は、三輪山・大神神社を抜きにしては語ることはできない。伏せられた或いは改竄され
た歴史を紐解くとき、いつもこの三輪山の存在から語られる。梅原猛氏は、三輪山こそ「ヤマタノオロチ」だとし、また出雲天孫族以前の大神「ニギハヤヒ」を祭る山だとも語られる。真実は未だにわからない。ご祭神は、大物主大神(おおものぬしおおかみ)またの名を倭大物主櫛甕玉命(やまとおおものぬしくしみかたまのみこと)である。
浄めの手水舎は、もちろん「蛇」であった。巳(ミイ)さんから清めの水をいただくのだ。





















拝殿も重厚感ただよう檜の皮葺き。奥に、三つ鳥居があり神霊「三輪山」を拝する。

 
038_2








オリジナルの御朱印帳を購入。やはり、朱印は「大神神社」から。もう一冊、全国一ノ宮御朱印帳も一緒に。一枚目は、大和の国一ノ宮「大神神社」が似合う。

大神神社摂社

まずは、「狭井坐大神荒魂(さいにいますおおみわあらみたま)神社。

005 御祭神は、狭井坐大神荒魂大神。社殿左手奥に、ご神水の井戸があり病気の平癒に霊験あらかたという。そして、三輪山への入山は、この拝殿右手から登る。残念ながら時間がないので断念。また必ず登りに来てみたい。










そして、若宮社 大直禰子神社。

007




















古事記には、<崇神天皇の時代に疫病が大流行し、三輪山の大神が天皇の夢枕に現れ、「意富多多泥古」という者を探し出し、自分を祀らせよ、さすれば祟りもあさまるであろう>と告げた。その大田田根子を御祭神としている。その手前に巨大な「おだまき杉」の株が。三輪の七本杉らしい。

006




















この他、日向御子神(たぶん神武天皇)を祀っている「神坐日向神社」。唯一この桜井で天照大御神を祀っている「檜原神社」にも行きたかったが、時間がなく断念。残念!

しかしやはり大神神社には、素盞嗚の変名とされる神や一族を祀った、摂社が多く見られた。神宝社(熊野夫須美神・御子速玉神)、市杵島姫神社、貴船神社(おかみ神)などなど。

鏡作坐天照御魂神社

012














三輪山のそば(西側)に、鏡作と名の付く神社が、5つある。八尾の鏡作坐天照御魂神社、石見の鏡作神社、宮古の鏡作神社、保津の鏡作伊多神社、小坂の鏡作麻気神社だ。その中で鏡作坐天照御魂神社を参拝。祭神は、中央に天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと){旧事本紀では天照国照彦火明櫛玉饒速日命}、左右に、鏡作部の祖・石凝姥命(いしこりどめのみこと)、天糠戸命(あまのぬかとのみこと)の3神です。石凝姥命は、天照大神がスサノオの乱暴に怒って天岩戸に隠れた時、彼女を岩戸から誘い出す方便として八咫鏡(やたのかがみ)を作った神で、天糠戸命は、その父である。

「崇神天皇6年、この地において日御像の鏡を鋳造し、天照大神の御魂となす。今の内侍所の神鏡是なり。当社はその(試鋳せられた)像鏡を天照国照彦火明命として祀れるもので、この地を号して鏡作と言ふ。」

社宝として三神二獣鏡が伝えられるが、これは三角縁神獣鏡の外区が欠落したものらしい。

鏡作神社は、三輪山山頂から冬至の日に朝日が昇るといわれている。また、出雲にある岩見という地名も興味深い。物部氏の流れを感じる。

015

大和神社

019













大和神社(おおやまと)。ご祭神は、中殿に日本大国魂大神、左殿に八千戈大神、右殿に御年大神を祀る。社伝によれば、崇神天皇の代、国内に疫病が蔓延したため、宮中に祀られていた天照(あまてらす)大神と倭大国魂(やまとのおおくにたま)神の神威を畏れて、二神を宮中の外に祀ることにした。崇神天皇6年、天照大神は、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)によって笠縫邑で祭祀されることになり、一方、倭大国魂神は淳名城入姫命(ぬなきのいりひめのみこと)に託して祀ることになったが、淳名城入姫命は髪が落ち体がやせて、この神を祀ることができなかった。そこで、翌年市磯長尾市(いちしながおち)に命じて鎮め祀らせたという。

第二次大戦中、世界最大の不沈戦艦といわれた戦艦「大和」は、守護神として艦上で大和神社の分霊を祀っていたらしい。そのため戦艦大和と運命を共にした、伊藤整第二艦隊司令長官以下2717柱の英霊、巡洋艦矢矧を中心とする第二水上特攻隊の3721柱の英霊が合祀され国家鎮護の神として祀られています。

もとは、現在の長岳寺の場所にあったらしいのですが、これは、大神神社ー石上神社を結ぶ線上に位置します。



何か因縁がありそうです。(地図を拡大してご確認ください)

018

箸墓

011













途中、箸墓古墳に寄る。卑弥呼の墓という説がある有名な古墳だ。三輪山の麓、「纒向遺跡」の南端の桜井市大字箸中に所在する前方後円墳。全長282m、後円部径157m、高さ22m、前方部幅125m、高さ13m。崇神天皇の叔母、倭迹迹日百襲姫尊命(やまとととひももそひめのみこと)陵 大市墓(箸大墓)とされている。

「日本書紀」崇神天皇10年9月の条
時に大神恥じて、忽ちに人の形となりたまふ。其の妻(みめ)に謂(かた)りて曰(のたま)はく、「汝、忍びずして吾に羞(はじみ)でむ」とのたまふ。よりて大虚(おほぞら)を践(ほ)みて、御諸山(みもろのやま)に登ります。ここに倭迹迹日百襲姫命仰ぎ見て、悔いて急居。則ち箸に陰を撞きて薨(かむさ)りましぬ。すなわち大市(おおち)に葬(はぶ)りまつる。故、時人、其の墓を號(なづ)けて、箸墓(はしのはか)と謂ふ。この墓は、日は人作り、夜は神作る。

とあります。写真は礼拝所で、この古墳は陵墓に比定されているため、宮内庁管理になっていて、一般の人は立ち入り出来ないようです。

Hisihaka2008

石上神宮

021 













物部氏の総本山。物部氏の遠祖宇摩志麻治命(うましまじのみこと)をもって宮中に奉斎したと記し、崇神天皇七年物部伊香色雄命(いかがしこおのみこと)が大臣のとき、詔により天社、国社を定め八百万神を祀らせ布留御魂神とともに石上高庭の地に祀ったのを創始とする「石上神社」を尋ねる。ご祭神は、布都御魂大神。さらに配祀として 布留御魂大神 布都斯魂大神。さらに宇麻志麻治命 五十瓊敷命 白河天皇 市川臣命。ご神体は、布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)である。この剣は、ヤマタノオロチを素盞嗚が斬った剣である。宇麻志麻治命は、素盞嗚の子「ニギハヤヒ」の長男。そして摂社に出雲建雄神社 がある。やはり出雲・素盞嗚系である。そうすると、布都・布留・布都斯は誰なのか予想は付くというものだ。

023

三輪山より、山野辺の道の最北「石上神社」は、古社にふさわしい落ち着きのある静謐な社であった。

2009-06-21

大地の北斗七星


より大きな地図で 大北斗 を表示

またおもしろいものを見つけた。大地の五芒星に続く第二弾。日本に横たわる「大地の北斗七星」と呼ぼう。

①高千穂の峰 天の逆鉾の下に眠る(逆鉾石)②沖ノ島 宗像大社沖津宮にある 沖ノ島:不信石(おいわず)③出雲大社の忌石(いみいし) ④奈良県飛鳥: 亀石(かめいし)⑤青木ヶ原(富士山麓): 荒覇吐神(あらはばき神)の石偶⑥鹿島神宮: 要石(かなめいし)⑦宮城県多賀城: 壷石(つぼいし)

これら霊石を結ぶと、「北斗七星」ができるらしい。おもしろい。そういえば、宮崎にも「霧島 北斗七星」なるものがあるという。同じく霊石、霊場を結ぶ。


より大きな地図で 霧島北斗七星 を表示

ただし、不完全だ。①皇子原:産場石(うべし) ②霞神社:白蛇の岩窟 ③東霧島神社:割裂神石 ④未発見 ⑤母智丘神社:陰陽石 ⑥高ノ峯 ⑦住吉神社 の7箇所だ。 こじつけぽいが、とりあえずご紹介。

2009-06-12

大地の五芒星

Photo_2

神社のことを調べていたら、おもしろいものを見つけたので、地図で描いてみた。畿内を覆う「五芒星」。伊勢神宮ー熊野本宮大社ー伊弉諾神社(淡路島)ー皇大神社(元伊勢神社)ー伊吹山を結ぶ正五角形(すべてがほぼ110km)。その5頂点をそれぞれ結ぶと五芒星が現れる。(紫の線)伊勢ー伊弉諾を東西に結ぶ中間点に、「明日香」、五芒星の中心が「奈良 平城京」 その真北、伊吹山ー伊弉諾、伊勢ー元伊勢の交差する地点が「京都 平安京」が位置する。すなわち、古代日本の拠点は、大地に描かれた結界により守られているということだ。また春分・秋分の日には、伊勢ー伊弉諾ラインに太陽は進み、夏至の日は、伊勢ー元伊勢に進むらしい。感動ものです。

ちなみに、オレンジの線は、伊弉諾神宮ー富士山、伊勢神宮ー出雲大社を結ぶ、同角度同距離(約370km)のラインである。

2009-06-07

鹿児島神宮

003

宮崎への帰路は、国分・隼人経由で。途中、鹿児島神宮へ参拝。大隅国一ノ宮だ。ご祭神は、天津日高彦穂穂出見尊。すなわち山幸彦である。神紋は、もちろん「十六八重菊」。さすがに立派な拝殿で、天井格子には花や野菜などが鮮やかに描かれており、美しい。

Photo_2 境内の樹齢800年の御神木である大クスも立派なものでした。さすが宇佐神宮と八幡宮総山を争っただけはあります。「正八幡宮」との名乗りに誇りを感じます。何故八幡宮かというと、実は相殿に仲哀天皇・神宮皇后・応神天皇・皇后を祭っているからです。他に「龍の亀石」などがありました。これは浦島太郎伝説の名残りか??

さて、この大隅の国一宮「鹿児島神宮」と日向の国「都農神社」を結び、鵜戸神宮を結ぶ三角形は、鵜戸神宮を頂点とした二等辺三角形となっている。(鵜戸ー鹿児島・都農ー鵜戸 約69km)また、都農ー鹿児島ラインをさらに伸ばしてゆくと、降臨伝説の地、野間岬(笠沙岬)の野間神社へぶつかる。また、さらに都農側を東に伸ばすと、淡路島 伊弉諾神宮へと到達する。そして、鹿児島神宮を頂点に鵜戸・野間がまた二等辺三角形でもある。

じつにおもしろい。

2009-04-05

霧島神宮

002

004

ずっと行きそびれていた霧島六社権現の中心である「霧島神宮」に参拝に行った。ご祭神は「瓊瓊杵尊」。鹿児島県霧島市にある。宮崎から1時間弱でいける。当初は高千穂峰山頂にあったのだが、霧島山の噴火によりたびたび火災にあったため現在の場所に移動したらしい。立派な鳥居に風格のある絢爛たる朱塗りの本殿。そして驚いたのは、浄めの手水舎(てみずや)の水盤龍の口から水が。そしてその水がすごく綺麗。まさしく霧島山系の水だろう。そして周りの石には苔がびっしり。でもそれが美しい。



003_2

もう一つの驚きは、御神木。樹齢800年の大杉(霧島メアサ)だ。幹周りは7.3mもあるらしい。やはり趣のある良き神社であった。

006

2008-10-29

霧島岑神社

Kirisimamine1 Kirisimamine2 小林市へ出かけた帰りに5分程、神社にお参りに。

霧島六社権現の一つ「霧島岑神社」へ。御祭神は(瓊瓊杵尊、木花咲耶姫、彦火火出見尊、豊玉姫、鵜草葺不合尊、玉依姫)。参道の入り口に仁王像が立つ。そこから、長い階段を登ったところに境内がある。静かな境内へ入り口の、高く高く聳える杉は印象的だ。

現在の岑神社は、夷守(ひなもり)神社合併されたもので、霧島六社権現とは、霧島神宮・東霧島神社・狭野神社・霧島東神社・霧島岑神社の5つということになる。たぶん、高千穂峰そのものがご神体であったのだろう。

また、仁王像の仁王とは、金剛力士のことである。それは「金剛杵(こんごうしょ)(古代インドの武器を元にした密教の法具。あらゆる煩悩を打ち砕く象徴)を持つもの」の意味であります。2体は、金剛杵を持ち口を開いた阿形像(あぎょうぞう)と、口を閉じ宝棒を持つ吽形像(うんぎょうぞう)です。「阿吽の呼吸」とよく言われますが、阿は「あ」で言葉の始まり、吽の「ん」で言葉の最後で、の始まりと究極とを象徴しているそうです。勉強にになります。