2009-07-04

大和神社

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大和神社(おおやまと)。ご祭神は、中殿に日本大国魂大神、左殿に八千戈大神、右殿に御年大神を祀る。社伝によれば、崇神天皇の代、国内に疫病が蔓延したため、宮中に祀られていた天照(あまてらす)大神と倭大国魂(やまとのおおくにたま)神の神威を畏れて、二神を宮中の外に祀ることにした。崇神天皇6年、天照大神は、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)によって笠縫邑で祭祀されることになり、一方、倭大国魂神は淳名城入姫命(ぬなきのいりひめのみこと)に託して祀ることになったが、淳名城入姫命は髪が落ち体がやせて、この神を祀ることができなかった。そこで、翌年市磯長尾市(いちしながおち)に命じて鎮め祀らせたという。

第二次大戦中、世界最大の不沈戦艦といわれた戦艦「大和」は、守護神として艦上で大和神社の分霊を祀っていたらしい。そのため戦艦大和と運命を共にした、伊藤整第二艦隊司令長官以下2717柱の英霊、巡洋艦矢矧を中心とする第二水上特攻隊の3721柱の英霊が合祀され国家鎮護の神として祀られています。

もとは、現在の長岳寺の場所にあったらしいのですが、これは、大神神社ー石上神社を結ぶ線上に位置します。



何か因縁がありそうです。(地図を拡大してご確認ください)

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箸墓

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途中、箸墓古墳に寄る。卑弥呼の墓という説がある有名な古墳だ。三輪山の麓、「纒向遺跡」の南端の桜井市大字箸中に所在する前方後円墳。全長282m、後円部径157m、高さ22m、前方部幅125m、高さ13m。崇神天皇の叔母、倭迹迹日百襲姫尊命(やまとととひももそひめのみこと)陵 大市墓(箸大墓)とされている。

「日本書紀」崇神天皇10年9月の条
時に大神恥じて、忽ちに人の形となりたまふ。其の妻(みめ)に謂(かた)りて曰(のたま)はく、「汝、忍びずして吾に羞(はじみ)でむ」とのたまふ。よりて大虚(おほぞら)を践(ほ)みて、御諸山(みもろのやま)に登ります。ここに倭迹迹日百襲姫命仰ぎ見て、悔いて急居。則ち箸に陰を撞きて薨(かむさ)りましぬ。すなわち大市(おおち)に葬(はぶ)りまつる。故、時人、其の墓を號(なづ)けて、箸墓(はしのはか)と謂ふ。この墓は、日は人作り、夜は神作る。

とあります。写真は礼拝所で、この古墳は陵墓に比定されているため、宮内庁管理になっていて、一般の人は立ち入り出来ないようです。

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石上神宮

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物部氏の総本山。物部氏の遠祖宇摩志麻治命(うましまじのみこと)をもって宮中に奉斎したと記し、崇神天皇七年物部伊香色雄命(いかがしこおのみこと)が大臣のとき、詔により天社、国社を定め八百万神を祀らせ布留御魂神とともに石上高庭の地に祀ったのを創始とする「石上神社」を尋ねる。ご祭神は、布都御魂大神。さらに配祀として 布留御魂大神 布都斯魂大神。さらに宇麻志麻治命 五十瓊敷命 白河天皇 市川臣命。ご神体は、布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)である。この剣は、ヤマタノオロチを素盞嗚が斬った剣である。宇麻志麻治命は、素盞嗚の子「ニギハヤヒ」の長男。そして摂社に出雲建雄神社 がある。やはり出雲・素盞嗚系である。そうすると、布都・布留・布都斯は誰なのか予想は付くというものだ。

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三輪山より、山野辺の道の最北「石上神社」は、古社にふさわしい落ち着きのある静謐な社であった。

2009-06-21

大地の北斗七星


より大きな地図で 大北斗 を表示

またおもしろいものを見つけた。大地の五芒星に続く第二弾。日本に横たわる「大地の北斗七星」と呼ぼう。

①高千穂の峰 天の逆鉾の下に眠る(逆鉾石)②沖ノ島 宗像大社沖津宮にある 沖ノ島:不信石(おいわず)③出雲大社の忌石(いみいし) ④奈良県飛鳥: 亀石(かめいし)⑤青木ヶ原(富士山麓): 荒覇吐神(あらはばき神)の石偶⑥鹿島神宮: 要石(かなめいし)⑦宮城県多賀城: 壷石(つぼいし)

これら霊石を結ぶと、「北斗七星」ができるらしい。おもしろい。そういえば、宮崎にも「霧島 北斗七星」なるものがあるという。同じく霊石、霊場を結ぶ。


より大きな地図で 霧島北斗七星 を表示

ただし、不完全だ。①皇子原:産場石(うべし) ②霞神社:白蛇の岩窟 ③東霧島神社:割裂神石 ④未発見 ⑤母智丘神社:陰陽石 ⑥高ノ峯 ⑦住吉神社 の7箇所だ。 こじつけぽいが、とりあえずご紹介。

2009-06-12

大地の五芒星

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神社のことを調べていたら、おもしろいものを見つけたので、地図で描いてみた。畿内を覆う「五芒星」。伊勢神宮ー熊野本宮大社ー伊弉諾神社(淡路島)ー皇大神社(元伊勢神社)ー伊吹山を結ぶ正五角形(すべてがほぼ110km)。その5頂点をそれぞれ結ぶと五芒星が現れる。(紫の線)伊勢ー伊弉諾を東西に結ぶ中間点に、「明日香」、五芒星の中心が「奈良 平城京」 その真北、伊吹山ー伊弉諾、伊勢ー元伊勢の交差する地点が「京都 平安京」が位置する。すなわち、古代日本の拠点は、大地に描かれた結界により守られているということだ。また春分・秋分の日には、伊勢ー伊弉諾ラインに太陽は進み、夏至の日は、伊勢ー元伊勢に進むらしい。感動ものです。

ちなみに、オレンジの線は、伊弉諾神宮ー富士山、伊勢神宮ー出雲大社を結ぶ、同角度同距離(約370km)のラインである。

2009-06-07

鹿児島神宮

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宮崎への帰路は、国分・隼人経由で。途中、鹿児島神宮へ参拝。大隅国一ノ宮だ。ご祭神は、天津日高彦穂穂出見尊。すなわち山幸彦である。神紋は、もちろん「十六八重菊」。さすがに立派な拝殿で、天井格子には花や野菜などが鮮やかに描かれており、美しい。

Photo_2 境内の樹齢800年の御神木である大クスも立派なものでした。さすが宇佐神宮と八幡宮総山を争っただけはあります。「正八幡宮」との名乗りに誇りを感じます。何故八幡宮かというと、実は相殿に仲哀天皇・神宮皇后・応神天皇・皇后を祭っているからです。他に「龍の亀石」などがありました。これは浦島太郎伝説の名残りか??

さて、この大隅の国一宮「鹿児島神宮」と日向の国「都農神社」を結び、鵜戸神宮を結ぶ三角形は、鵜戸神宮を頂点とした二等辺三角形となっている。(鵜戸ー鹿児島・都農ー鵜戸 約69km)また、都農ー鹿児島ラインをさらに伸ばしてゆくと、降臨伝説の地、野間岬(笠沙岬)の野間神社へぶつかる。また、さらに都農側を東に伸ばすと、淡路島 伊弉諾神宮へと到達する。そして、鹿児島神宮を頂点に鵜戸・野間がまた二等辺三角形でもある。

じつにおもしろい。

2009-04-05

霧島神宮

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ずっと行きそびれていた霧島六社権現の中心である「霧島神宮」に参拝に行った。ご祭神は「瓊瓊杵尊」。鹿児島県霧島市にある。宮崎から1時間弱でいける。当初は高千穂峰山頂にあったのだが、霧島山の噴火によりたびたび火災にあったため現在の場所に移動したらしい。立派な鳥居に風格のある絢爛たる朱塗りの本殿。そして驚いたのは、浄めの手水舎(てみずや)の水盤。龍の口から水が。そしてその水がすごく綺麗。まさしく霧島山系の水だろう。そして周りの石には苔がびっしり。でもそれが美しい。



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もう一つの驚きは、御神木。樹齢800年の大杉(霧島メアサ)だ。幹周りは7.3mもあるらしい。やはり趣のある良き神社であった。

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2008-10-29

霧島岑神社

Kirisimamine1 Kirisimamine2 小林市へ出かけた帰りに5分程、神社にお参りに。

霧島六社権現の一つ「霧島岑神社」へ。御祭神は(瓊瓊杵尊、木花咲耶姫、彦火火出見尊、豊玉姫、鵜草葺不合尊、玉依姫)。参道の入り口に仁王像が立つ。そこから、長い階段を登ったところに境内がある。静かな境内へ入り口の、高く高く聳える杉は印象的だ。

現在の岑神社は、夷守(ひなもり)神社合併されたもので、霧島六社権現とは、霧島神宮・東霧島神社・狭野神社・霧島東神社・霧島岑神社の5つということになる。たぶん、高千穂峰そのものがご神体であったのだろう。

また、仁王像の仁王とは、金剛力士のことである。それは「金剛杵(こんごうしょ)(古代インドの武器を元にした密教の法具。あらゆる煩悩を打ち砕く象徴)を持つもの」の意味であります。2体は、金剛杵を持ち口を開いた阿形像(あぎょうぞう)と、口を閉じ宝棒を持つ吽形像(うんぎょうぞう)です。「阿吽の呼吸」とよく言われますが、阿は「あ」で言葉の始まり、吽の「ん」で言葉の最後で、法の始まりと究極とを象徴しているそうです。勉強にになります。

2008-09-21

雨の高千穂

土曜の夜から「かみさん」が宮崎へ遊びに来ている。この日は、時間が遅かったので夕食は、お好み焼きで済ませ、いつも仲良くさせてもらっている、BAR「NIGO」で12時近くまでお酒&カラオケで楽しむ。

今日は、高千穂へ向かう。朝は大変良い天気であったが高千穂へ近づくあたりから雲行きが怪しい。まずは、天岩戸神社へ。その頃には、なんとどしゃぶり。



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もちろん、天照大神を祀る神社で、参拝者は、社殿で 大鏡にお祈りするのだが、実は御神体は、拝殿の後方の対岸にある洞窟(天岩戸)  で、実は天岩戸を拝んでいるわけだ。そこから前回は行けなかった天の安原へいくが、濡れ鼠状態となる。

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上の写真の左側に「仰慕窟」(ぎょうぼがいわや)という間口30m・奥行き25m
の大きな洞窟があり中に鳥居と社があるのだが、恐れ多くて写真は撮らなかった。

天岩戸神社をあとにして「真名井の滝」のある高千穂峡へ。今日は意外と観光客が多いが残念ながら突然の大雨でボートは中止。写真だけはきっちりと収めた。

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最後に、高千穂神社へ。

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この頃から、雨も上がり日差しが戻り始めていた。高千穂神社の御祭神は多く

高千穂皇神 天津彦火瓊々杵尊・木花開耶姫命、彦火火出見尊・豊玉姫命、鵜葺草葺不合尊・玉依姫命

十社大明神 三毛入野命・鵜目姫命、大郎命・二郎命・三郎命・畝見命・照野命・大戸命・霊社命・浅良部命


となっている。

境内には、第十一代垂仁天皇の勅命により我国で始めて伊勢神宮と当高千穂宮が創建せられた際用いられた鎮石が置かれていた。

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「道のえき」でやっと遅い昼食。「ちゃんどん」というチャンポンの具のうどんを食べる。延岡駅で食べたことがある。この地方の名物だろうか?あとで調べてみよう。そして いよいよ阿蘇へ。  つづく・・・

 

2008-08-17

大御神社

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日向の海岸沿いにある「大御神社」を訪ねる。007

皇祖天照大御神を御祭神とする古社で、創建の年月は詳らかではないが、当社に伝わる「神明記」その他の古文書によれば、往古・皇大御神・日向の国高千穂に皇孫瓊々杵尊を天降し給うた節、尊は当地を御通過遊ばされ、千畳敷の磐石にて、これより絶景の大海原を眺望され、皇祖天照大御神を奉祀して平安を祈念されてと伝えられ、後世、此の御殿の霊石の在りし所に一宇を建て、皇大御神を勧請し村中の鎮守と崇敬し奉ると言う。

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上の写真がその「神座」だ。この地は、あの君が代に謳われる<さざれ石>が見られる。

【さざれ石】 ( 細石 )
集まった小さな石の隙間が炭酸カルシュウムや水酸化鉄等で埋められ、小石がコンクリート状に凝結して固化したものを総称してさざれ石と呼んでいます。


そいうえば、北京オリンピック、中国の地で金メダルの度に、何度も「君が代」が演奏されるのが、小気味いい。

立磐神社と日本海軍発祥の地

宮崎に美々津という地がある。神武東征の時に、カムイワレヒコ(神武天皇)ら天孫族らが、この港(美々津の渡し)から大和へ向けて旅立ったとされる場所だ。

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そこに「立磐神社」はある。神武天皇と住吉三神を祀っている神社です。

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古くて小さな社であった。すぐそばに耳川が流れている。美々津の町並みは、昔の廻船問屋などが連なる趣のある場所であった。そしてこの神社の側には、日本海軍発祥の地の石碑が見事に立っていた。

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天気が悪く、文字が見えにくいが「日本海軍発祥之地」と彫られている。

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日本海軍は、天皇が統治された海軍である。このことから国が、神武天皇親率の水軍が初めて編成され、進発した美々津の地を「日本海軍発祥之地」と定め、紀元二千六百年記念事業の一環として建立された。碑文の文字は、時の内閣総理大臣海軍大将米井光政の揮毫により、碑面に刻記されたものらしい。この碑は、大東亜戦争の終戦直後進駐米軍によって碑文が破壊されたが、昭和44年、地元有志の強い要望により、防衛庁(海上自衛隊)などの協力を得て、現在の通り復元されたとのこと。宮崎に着たからには、とにかくここに来たかった。

都農神社

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日向国一ノ宮たる「都農神社」へ。大きな杉林の参道は、荘厳で圧巻。拝殿は、建て替えられたのだろうかなり新しかった。

都農神社は都萬・霧島・江田と並ぶ、日向式内四座の一社だ。都農神社由緒によれば神武天皇御東遷の際に、宮崎の宮を御進発になり、途中、都農において祭壇を設け、国土平安海上平穏武運長久神助を祈念したという。この鎮祭されたのを創祀と伝えている。しかし、ご祭神は、かの大巳貴命(おおなむちのみこと・大国主命)。そして摂社には、素盞嗚社(素盞嗚命) を祭る。上記のような由緒があり、しかも日向天孫族の中心地でありながら、何故に出雲系の大神が祭られているのか、前々から疑問だ。当然ながら、由緒にもこのことは何も触れられていない????

2008-06-14

太宰府天満宮 参拝

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太宰府天満宮を久しぶりに参拝した。高校受験前に母と参拝しにきて以来30年ぶりだ。太宰府天満宮は、言わずと知れた学問の神様「菅原道真」を御祭神として祭っている。がしかし知らないことが多くあった。今日の参拝とご案内で驚くべきことを多く知った。道真の遺骸を牛で曳かせ、牛が動かなくなった場所を墓にせよとの遺志により、現在の場所が「殿」ではなく「廟」として存在し、その地下に道真公が眠っているということ。すなわち参拝と同時に墓参りをしているということ。故にもとは神社ではなく安楽寺というお寺であったということだ。1947年に今の太宰府天満宮となったらしい。

さて、この日は宮司(道真公の子孫にて39代目 西高辻宮司)の御自宅<延寿王院>も見学させてもらい、幕末に7卿落ちで来られ、(大宰府には5卿)3年間 三条実美が住まわれ、高杉晋作と対面した(勿論、龍馬や西郷も)畳に座ることができたことは感慨深いものがあった。久しぶりに「梅が枝餅」もいただいたが、おいしかった。

2008-05-08

鹿野田神社

PhotoPhoto_2 今日、西都市へでかけたので「鹿野田神社」という所へ立ち寄りお参りとお祈りをした。

何もない田んぼ只中に鳥居があった。神社自体は主要道路からさらに逸れて田んぼの中を伸びる参道を200mほど進んだ奥にあり、海から12キロも離れた山間にある。


しかし、この神社にある井戸は、塩水なのだ。「鹿野田神社」の御祭神は、ヒコホホデミノミコトすなわち山幸彦だ。神話に登場する「潮満玉(しおみつたま)・潮涸玉(しおひるたま)」が、ご神体としてまつられている。

そして井戸の名前も「潮満玉の泉」という。山幸彦と結婚した海神の娘・豊玉姫が会うために、陸と海とを行き来した道と伝えられている。すこしスクって水を舐めてみた。本当だ。塩辛い。地元では、この社をもっぱら「潮(うしお)神社」と呼ぶ。井戸の水面は、潮の満ち引きに合わせて上下するのだという。不思議だ。

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2008-05-07

潮嶽神社

Photo_2 今日、外回りの際 途中で「潮嶽神社」へ5分ほど立ち寄りお参りとお祈りをした。

「潮嶽神社」は、北郷町にある祭神は、ホスセリノミコトすなわち海幸彦である。海幸彦は、ご存知のように山幸彦に負け、追われた神であり、他に海幸彦を祭る神社は存在しない。しかも、こんな山深い地に・・・。

神社の背後は飫肥杉の産地で、神話の里がどこもそうであるように、ここにも主祭神・海幸彦にまつわる地名が多い。

潮嶽は、弟の山幸彦と釣り針のことで争ったとき、磐(いわ)船で満潮に乗り、越潮(こしおの)山に上陸、ここを潮嶽と称するようになったという。また、船から下りたところが「賢所」。ここは、禁足地となっており、ここには磐船が埋められていると伝える。さらに海幸彦が水鏡を利用し、みそぎをした池が「神池」、祭りのときアマテラスに酒食を出した場所を「饗(きょう)塚」という。
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海幸彦が国内を治めた後、この地で亡くなり、潮嶽川上の陵に葬られたと言われ、潮塚があてられている。ちなみに「宿野」は、信仰を集めた同社の宿坊が立ち並んでいたことによるという。

土地では「海幸・山幸」の神話にちなんで、縫い針を他人には貸さない習俗がある。ホスセリは隼人族の祖とされ、日本書紀によれば隼人の声は、犬の遠ぼえに似ているとも書かれている。子供の初参りには、紅で額に「犬」の字を書き、病気封じをして強く育つよう祈願する。これも海幸彦にかかわるものとされている。おもしろい。