p>関東には、「氷川神社」「香取神社」「鹿島神社」と関係する氏族がその地域に根を張っていたのであろうと思われる領域がハッキリと存在するから面白い。GoogleMapで可能な限りプロットしてみた。
荒川沿いに埼玉方面に伸びる赤い炎マークが「氷川神社」が鎮座する領域。真ん中、利根川・江戸川上流から印旛沼にかけての緑のマークが「香取神社」が鎮座する領域。そして、茨城南部に拡がる赤紫のマークが「鹿島神社」が鎮座する領域。地域が分割されて統治されていたのがわかる。お見事!!
2007年単身赴任先宮崎で土日の楽しみとして巡った「神社」の奥深さに惹かれ、それ以来神社探訪を続けています。神社の位置・ご祭神・神紋・鳥居・本殿を中心に気ままに書きなぐっています。ご訪問ありがとうございます。
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2010-12-18
2010-11-21
2010-10-31
戸隠神社 奥社・九頭龍社
戸隠神社 中社・宝光社
奥社から少し山を下り、中社へ。中社は、天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)を祀る。
拝殿へ向かう階段の紅葉が色づいて美しい。
ここには、樹齢800年を超える三本杉がある。うーん見事だ。
社殿は唐破風入母屋造り。
そして、社紋は「鎌卍紋」。諏訪大社の神器といわれる「薙鎌」といい、こちらの鎌卍といい、信濃は「鎌」に縁があるのだろうか?
さて最後に、火の御子社には、寄れなかったが「宝光社」は参拝。ご祭神は、思兼命の御子である天表春命(あめのうわはるのみこと)。天孫降臨の際、護衛として降臨した神様である。
杉並木の階段をひたすら登ってゆく。かみさんは、階段をパスして左横にある女坂から社殿をめざす。
社殿は、間口柱間五間、奥行柱間七間。正面に破風付の一軒の向拝を付けた妻入り入母屋造。かなり大きな社殿であった。
中社近くで、名物戸隠そばを頂きました。お店は「二葉屋」さん。一日限定20食の「生粉打ち(十割そば)そば」を頂きました。まずは、塩だけでいただきます。そしてつゆで。さすがに本場。おいしかったです。
拝殿へ向かう階段の紅葉が色づいて美しい。
ここには、樹齢800年を超える三本杉がある。うーん見事だ。
社殿は唐破風入母屋造り。
そして、社紋は「鎌卍紋」。諏訪大社の神器といわれる「薙鎌」といい、こちらの鎌卍といい、信濃は「鎌」に縁があるのだろうか?
さて最後に、火の御子社には、寄れなかったが「宝光社」は参拝。ご祭神は、思兼命の御子である天表春命(あめのうわはるのみこと)。天孫降臨の際、護衛として降臨した神様である。
杉並木の階段をひたすら登ってゆく。かみさんは、階段をパスして左横にある女坂から社殿をめざす。
社殿は、間口柱間五間、奥行柱間七間。正面に破風付の一軒の向拝を付けた妻入り入母屋造。かなり大きな社殿であった。
中社近くで、名物戸隠そばを頂きました。お店は「二葉屋」さん。一日限定20食の「生粉打ち(十割そば)そば」を頂きました。まずは、塩だけでいただきます。そしてつゆで。さすがに本場。おいしかったです。
2010-10-30
諏訪大社 上社
信濃一之宮「諏訪大社」は、四つの宮がある。諏訪湖の南側の上社に前宮と本宮、北側の下社に春宮と秋宮。社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ぶ木の柱が立っているほか社殿の配置にも独特の形を備えている。ご祭神は、大国主命の子、建御名方命(たけみなかたのみこと)を上社に、そしてその妻の八坂刀売命(やさかとめのみこと)を下社にと言われています。諏訪大社には、大神神社と同様に本殿が無い。上社は、「守屋山」を御神体とし、下社は、御神木を御神体としているのだ。まずは、前宮を参拝。
前宮は諏訪明神の信仰の原点といわれている。もともと、諏訪大社では木や石などに降りる精霊として、ミシャクジ神を祀っており、 奉祀する神職の最高位を大祝と呼び、上社の大祝「諏訪氏」は祭神の子孫として、下社の大祝「金刺氏」は皇族の子孫としていた。こんもりとした森にたたずむ拝殿は、いかにも厳かであった。
写真は、一の御柱。社殿を4つの柱が囲むようにして立っている。
ご神紋は「諏訪梶紋」。上社は写真のように、根が4本である。
次に、本宮を参拝。
南側の鳥居から境内へ。そこには、布橋と呼ばれる、門から幣拝殿までの間をつなぐ、37間の長細い切妻の建物がある。
拝殿は、何故か守屋山ではなく、前宮を背にしている。
ちょうど、なにかのお祓い中であった。
御柱を写真に収め、社務所でご朱印を頂くときに、御柱を伐り出す御用林のモミの木の題字にひきつけられ、ついつい買ってしまったのが下の写真です。
感激!!
前宮は諏訪明神の信仰の原点といわれている。もともと、諏訪大社では木や石などに降りる精霊として、ミシャクジ神を祀っており、 奉祀する神職の最高位を大祝と呼び、上社の大祝「諏訪氏」は祭神の子孫として、下社の大祝「金刺氏」は皇族の子孫としていた。こんもりとした森にたたずむ拝殿は、いかにも厳かであった。
写真は、一の御柱。社殿を4つの柱が囲むようにして立っている。
ご神紋は「諏訪梶紋」。上社は写真のように、根が4本である。
次に、本宮を参拝。
南側の鳥居から境内へ。そこには、布橋と呼ばれる、門から幣拝殿までの間をつなぐ、37間の長細い切妻の建物がある。
拝殿は、何故か守屋山ではなく、前宮を背にしている。
ちょうど、なにかのお祓い中であった。
御柱を写真に収め、社務所でご朱印を頂くときに、御柱を伐り出す御用林のモミの木の題字にひきつけられ、ついつい買ってしまったのが下の写真です。
感激!!
諏訪大社 下社
上社を後にして、足長神社・八剣神社と参拝し、下社へ。まずは、秋宮。
鳥居をくぐり最初に見えるはずの、大きな注連縄をもつ神楽殿は修復中で見られず。残念。
破風のある二階建て構造の珍しい拝殿にて参拝。雨は依然として激しく降っている。
神紋「諏訪梶紋」はやはり上社と違い根が5本あることを確かめる。
ここでは、拝殿左奥にある「三の御柱」を紹介しておこう。
さて、最後は春宮。
こちらでは、注連縄は小さめだが正面の神楽殿を見ることができた。
そして、秋宮と同じつくりの幣拝殿。
最後に御朱印をもらうと、4宮全てをまわられたのでということで「御神供」の落雁を頂いた。
ちゃんと「諏訪梶紋」があるのに感激しました。春宮でもらったので、根は5本でした。
鳥居をくぐり最初に見えるはずの、大きな注連縄をもつ神楽殿は修復中で見られず。残念。
破風のある二階建て構造の珍しい拝殿にて参拝。雨は依然として激しく降っている。
神紋「諏訪梶紋」はやはり上社と違い根が5本あることを確かめる。
ここでは、拝殿左奥にある「三の御柱」を紹介しておこう。
さて、最後は春宮。
こちらでは、注連縄は小さめだが正面の神楽殿を見ることができた。
そして、秋宮と同じつくりの幣拝殿。
最後に御朱印をもらうと、4宮全てをまわられたのでということで「御神供」の落雁を頂いた。
ちゃんと「諏訪梶紋」があるのに感激しました。春宮でもらったので、根は5本でした。
2010-10-24
千葉の神社の分布?
以前参拝した「麻賀多神社」。この麻賀多という言葉に何か引っかかるものがあり、調べている。
そもそも千葉の南は、安房の国で安房一之宮である「安房神社」「洲崎神社」のご祭神は、忌部氏の祖。安房は、四国(阿波)の忌部氏が海を渡って住み着いたと言われており、その名がついた。忌部氏はここで麻を栽培する。このとき良質の麻が成長したところを総(ふさ:麻の古語)の国といい、阿波斎部が住んだところを安房と名づけたといわれている。総の国は都に近い方が上総、遠い方が下総と呼ばれた。だから千葉は、安房国の「房」と上総国、下総国の「総」を組み合わせて「房総」と呼ばれている。
さて、千葉にしかない「麻賀多神社」。忌部氏は、出雲の玉造で「勾玉」を造る集団でもありました。千葉の印旛沼(忌部からきているだろう)の南に「麻賀多神社」は数多く存在する。そしてこの地にしかない。麻賀多は、勾玉からきているのであろうか。勾玉に関係した忌部氏の集団がこの地に住み着いたのではないだろうか?それとも麻を多く奉げたという意味なのか?いずれのしてもおもしろい。
しかしそれだけでなく千葉には神社のおもしろい分布があった。
より大きな地図で 千葉~鳥見神社・宗像神社・麻賀多神社 を表示
上の地図。南に拡がる赤マークが「麻賀多神社」(駒形(小麻賀多))含む。中央の黄マークが「宗像神社」。北の青マークが「鳥見神社」。見事に地域を分けて分布している。「鳥見」は、ニギハヤヒを祀る物部氏の領域。「宗像」は海洋族。九州の遠賀川流域を地盤としていた物部と宗像がはるか千葉の地に腰を下ろしたものと思われる。東の香取・鹿島の地も物部の領域だったことを考えると千葉は、古くは出雲系の支配地であったことがわかる。これから色々調べてみたい。
来週は、諏訪・戸隠に参拝にいきます。楽しみです。
そもそも千葉の南は、安房の国で安房一之宮である「安房神社」「洲崎神社」のご祭神は、忌部氏の祖。安房は、四国(阿波)の忌部氏が海を渡って住み着いたと言われており、その名がついた。忌部氏はここで麻を栽培する。このとき良質の麻が成長したところを総(ふさ:麻の古語)の国といい、阿波斎部が住んだところを安房と名づけたといわれている。総の国は都に近い方が上総、遠い方が下総と呼ばれた。だから千葉は、安房国の「房」と上総国、下総国の「総」を組み合わせて「房総」と呼ばれている。
さて、千葉にしかない「麻賀多神社」。忌部氏は、出雲の玉造で「勾玉」を造る集団でもありました。千葉の印旛沼(忌部からきているだろう)の南に「麻賀多神社」は数多く存在する。そしてこの地にしかない。麻賀多は、勾玉からきているのであろうか。勾玉に関係した忌部氏の集団がこの地に住み着いたのではないだろうか?それとも麻を多く奉げたという意味なのか?いずれのしてもおもしろい。
しかしそれだけでなく千葉には神社のおもしろい分布があった。
より大きな地図で 千葉~鳥見神社・宗像神社・麻賀多神社 を表示
上の地図。南に拡がる赤マークが「麻賀多神社」(駒形(小麻賀多))含む。中央の黄マークが「宗像神社」。北の青マークが「鳥見神社」。見事に地域を分けて分布している。「鳥見」は、ニギハヤヒを祀る物部氏の領域。「宗像」は海洋族。九州の遠賀川流域を地盤としていた物部と宗像がはるか千葉の地に腰を下ろしたものと思われる。東の香取・鹿島の地も物部の領域だったことを考えると千葉は、古くは出雲系の支配地であったことがわかる。これから色々調べてみたい。
来週は、諏訪・戸隠に参拝にいきます。楽しみです。
2010-09-20
南宮大社
昨晩は、久しぶりにおいしい伊賀牛のヒレステーキを食べ満足。早速、四日市が渋滞になるまえに名古屋へ向かう。かみさんと娘は、今回の目的の一つ(これが一番か?)、名古屋劇団四季の「オペラ座の怪人」に。私は、この時間を利用してまずは、美濃一之宮「南宮大社」へ。関ヶ原は南宮山の鬼門北東麓に鎮座している。
ご祭神は「金山彦命」。鉱山・金山など、鉱物をつかさどると神いわれている。『延喜式』には「仲山金山彦神社」と記載されている。まずは、楼門が迎えてくれる。
楼門をくぐると舞殿。その背後に拝殿。
ご神紋は「三つ巴」。本殿は、「南宮造り」といわれる「権現造り」のようだ。珍しく千木・鰹木がないのが特徴。
南宮とは?そもそも製鉄炉や鍛冶場の四方を取り囲む押立柱(おしたてはし)のうち、南方の柱を特に重要視していたためといわれ「南方の宮」=「ミナカタノミコト」で、諏訪大社が南宮といわれる所以だ。
ご祭神は「金山彦命」。鉱山・金山など、鉱物をつかさどると神いわれている。『延喜式』には「仲山金山彦神社」と記載されている。まずは、楼門が迎えてくれる。
楼門をくぐると舞殿。その背後に拝殿。
ご神紋は「三つ巴」。本殿は、「南宮造り」といわれる「権現造り」のようだ。珍しく千木・鰹木がないのが特徴。
南宮とは?そもそも製鉄炉や鍛冶場の四方を取り囲む押立柱(おしたてはし)のうち、南方の柱を特に重要視していたためといわれ「南方の宮」=「ミナカタノミコト」で、諏訪大社が南宮といわれる所以だ。
2010-09-19
富士山本宮浅間大社
お彼岸に加え、暫く入院していたおじいちゃんが退院したので、かみさんの実家 伊賀へかみさんと娘と車で帰省した。朝5:40の出発。厚木付近で少しの渋滞はあったものの順調な走行。せっかくのドライブなのでこの機会を捉え、一之宮巡り。8:00に駿河一之宮「富士山本宮浅間大社」に到着。
残念ながら、鳥居左後方に見えるはずの富士山はこの日は隠れていた。ご祭神は「木花之佐久夜毘賣命」。浅間神社の主祭神はすべて「木花之佐久夜毘賣命」である。ご神体はもちろん富士山で、山頂に奥宮がある。主祭神としてもう一神「浅間大神(あさまのおおかみ)とあるが、富士山の神霊である。
鳥居を抜け、参道を歩くと楼門が見える。ご神紋は「棕櫚の葉」。神霊の憑代で、富士大宮司の紋である。
本殿は、その名をうつす「浅間造り」。
正面五間側面四間寄棟造の社殿(宝殿造り)の上に、三間社流造の本殿が建つ、二重の楼閣構造となっている。
千木・鰹木は「男神」を顕す数と形となっている。浅間大神を主に意識しているのだろうか?
富士山のお膝元らしく、湧き水がある「湧玉池」が印象的であった。
残念ながら、鳥居左後方に見えるはずの富士山はこの日は隠れていた。ご祭神は「木花之佐久夜毘賣命」。浅間神社の主祭神はすべて「木花之佐久夜毘賣命」である。ご神体はもちろん富士山で、山頂に奥宮がある。主祭神としてもう一神「浅間大神(あさまのおおかみ)とあるが、富士山の神霊である。
鳥居を抜け、参道を歩くと楼門が見える。ご神紋は「棕櫚の葉」。神霊の憑代で、富士大宮司の紋である。
本殿は、その名をうつす「浅間造り」。
正面五間側面四間寄棟造の社殿(宝殿造り)の上に、三間社流造の本殿が建つ、二重の楼閣構造となっている。
千木・鰹木は「男神」を顕す数と形となっている。浅間大神を主に意識しているのだろうか?
富士山のお膝元らしく、湧き水がある「湧玉池」が印象的であった。
椿大神社(つばきおおかみやしろ)
東京から、伊賀まで名だたる神社がいくつもあるのだが途中下車は料金が嵩むうえ、かみさんと娘のブーイングもあり、神社巡りは2社に限定された。もう一社選んだのは、伊勢一之宮「椿大神社 つばきおおかみやしろ」。鈴鹿市に鎮座する。
ご祭神は「猿田彦命」。猿田彦大本宮とも呼ばれている。(全国、猿田彦神社の総本宮)背後に聳える入道ヶ嶽を神体として鎮座している。
灯篭を備えた趣のある参道を抜けると本殿が見える。
ご神紋は「三つ巴」のようだ。当社は、本殿右手に、朱色の美しい別宮・椿岸神社をもつ。ご祭神は猿田彦命の妻神である「天之宇受女命」。
故松下幸之助は、この清浄なる宮を好まれ、何度も参拝されていたらしい。境内には「松下幸之助社」もあるとのこと。
ご祭神は「猿田彦命」。猿田彦大本宮とも呼ばれている。(全国、猿田彦神社の総本宮)背後に聳える入道ヶ嶽を神体として鎮座している。
灯篭を備えた趣のある参道を抜けると本殿が見える。
ご神紋は「三つ巴」のようだ。当社は、本殿右手に、朱色の美しい別宮・椿岸神社をもつ。ご祭神は猿田彦命の妻神である「天之宇受女命」。
故松下幸之助は、この清浄なる宮を好まれ、何度も参拝されていたらしい。境内には「松下幸之助社」もあるとのこと。