かなりの敷地をもち、まずは、大きな白い明神鳥居(一の鳥居)を抜けて階段を上っていきます。
緑が美しい参道を歩いていくと名将 那須与一 が奉納したとされる石の台輪鳥居(二の鳥居)がありました。
ここ「温泉神社」は、延喜式内社。ご祭神は、大己貴命・少彦名命。
源平屋島の合戦のおり、船上の扇を見事射落した 那須余一は当地方の武将。 扇を射る時に、那須温泉大明神に祈ったらしい。
本殿は、流造のでした。
神紋は「三つ巴」紋、「丸に卍」紋、「柊輪に立沢瀉(ひいらぎりんにたちおもだか」紋の3つのようです。
境内は、高台にあり右手には那須の名勝「賽の河原と殺生石」を眺めることができます。
インド、中国を荒らし回った妖怪九尾の狐が日本へ渡来、「玉藻の前」という美女に化身し、帝の寵愛を受けるようになりました。帝の命を奪い日本を我が物にしようとした玉藻の前は、陰陽師の阿部泰成によってその正体を見破られ、白面金毛九尾の狐の姿となって、この地・那須野が原へ逃げ込んだのです。
これを知った朝廷は上野介広常、三浦介義純の両名に命じ九尾の狐を退治させました。狐は死んで巨石となり、その怨念は毒気となって近づく人や家畜、鳥獣をも殺し続けたのでした。 これが「殺生石」伝説です。
室町時代になってこれを伝え聞いた名僧源翁和尚は、この地を訪ね、石に済度教化を授け持っていた杖で一喝すると、巨石は三つに割れ一つは会津へ、一つは備後へと飛んで行き、残った一つがこの殺生石であると今も語りつがれています。
那須温泉神社境内には「九尾稲荷神社」も祀られています。
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