2007年単身赴任先宮崎で土日の楽しみとして巡った「神社」の奥深さに惹かれ、それ以来神社探訪を続けています。神社の位置・ご祭神・神紋・鳥居・本殿を中心に気ままに書きなぐっています。ご訪問ありがとうございます。
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2012-08-07
砥鹿神社
伊勢・熊野からの帰り道 豊川市にある 三河一宮 「砥鹿神社」に参拝しました。これにて47社目の一の宮です。ご祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)。本宮山に奥宮がありますが、今回は里宮本社のみの参拝です。
神紋は「亀甲に亀卜」紋と独特の神紋です。
本殿は檜皮葺きの流造のようです。
当社には、境内摂社に二宮社・三宮社がありました。
二宮・・・事代主命
三宮・・・建御名方命
をお祀りしています。
そして、境内入口近くに摂社「アラハバキ神社」がありました。たぶんこの神様が元の神様であり、その神を追い出した建御名方命(三宮)が、その後の主祭神ではないかと推察します。建御名方命は、ここから北上し諏訪へ至ったのではないでしょうか。
アラハバキ神社が中部地区にあるのは大変珍しいことのようです。
2012-08-06
熊野那智大社
神倉神社
是非来たかった熊野速玉大社摂社「神倉神社」を参拝。一筋縄では行かない急勾配の鎌倉石積みの石段(538段)をひたすら登ってゆく。
やっと到着した山上にはゴトビキ岩(「琴引岩」とも。ゴトビキとはヒキガエルをあらわす新宮の方言)と呼ばれる巨岩がご神体として祀られている。天照大神と高倉下命(タカクラジノミコト)が祭られていますが、もともとは、この巨岩群そのものが神が降臨する場所として崇拝されたのでしょう。
山上からの眺めは登ってきた者への贈り物です。
新宮の街並みと太平洋の絶景に心地よい風が身体にしみ込みます。
巨岩を御神体とする神倉神社は、やはり巨岩を御神体とする花の窟神社や滝を御神体とする那智の飛瀧(ひろう)神社とともに古代の熊野の自然崇拝の姿を今日まで伝えているということができるでしょう。
この神倉の崖が、『日本書紀』の神武天皇紀にある天磐盾(あまのいわだて)だといわれています。
やっと到着した山上にはゴトビキ岩(「琴引岩」とも。ゴトビキとはヒキガエルをあらわす新宮の方言)と呼ばれる巨岩がご神体として祀られている。天照大神と高倉下命(タカクラジノミコト)が祭られていますが、もともとは、この巨岩群そのものが神が降臨する場所として崇拝されたのでしょう。
山上からの眺めは登ってきた者への贈り物です。
新宮の街並みと太平洋の絶景に心地よい風が身体にしみ込みます。
巨岩を御神体とする神倉神社は、やはり巨岩を御神体とする花の窟神社や滝を御神体とする那智の飛瀧(ひろう)神社とともに古代の熊野の自然崇拝の姿を今日まで伝えているということができるでしょう。
この神倉の崖が、『日本書紀』の神武天皇紀にある天磐盾(あまのいわだて)だといわれています。
熊野速玉大社
熊野速玉大社に参拝です。本宮から熊野川をずっと下った河口、千穂ヶ峰の北東麓に熊野速玉大社は鎮座しています。もともとは、速玉大社から南へ1~2km行った千穂ヶ峰の東南端の神倉山に祀られていたのが、のちに現在地に遷され、そのため神倉山の古宮に対し、ここを新宮と呼ぶようになったということです。
ご祭神である熊野速玉大神は、衆生の苦しみ、病気を癒す薬師如来として過去世の救済を、またお妃の熊野夫須美大神は現世利益を授ける千手観音菩薩、家津美御子大神は来世浄土へ導く阿弥陀如来として位置づけられ、山伏や熊野比丘尼によって熊野権現信仰は飛躍的な拡がりを見せ、全国に数千に及ぶ御分社が祀られるにいたりました。
参道を進むと、朱塗りの神門。 神門のなかに入ると、朱塗りの瑞垣。その向こうにやはり朱塗りの社殿が横に5棟並んでいます。
向かって左に礼殿があります。礼殿の前には第一本社と第二本社が並んでいます。第一本社は「結宮(むすびのみや)」といい、熊野結大神(くまのむすびのおおかみ。那智の主神)を祀っています。第二本社は「速玉宮(はやたまぐう)」といい、熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)を祀っています。
ご祭神である熊野速玉大神は、衆生の苦しみ、病気を癒す薬師如来として過去世の救済を、またお妃の熊野夫須美大神は現世利益を授ける千手観音菩薩、家津美御子大神は来世浄土へ導く阿弥陀如来として位置づけられ、山伏や熊野比丘尼によって熊野権現信仰は飛躍的な拡がりを見せ、全国に数千に及ぶ御分社が祀られるにいたりました。
参道を進むと、朱塗りの神門。 神門のなかに入ると、朱塗りの瑞垣。その向こうにやはり朱塗りの社殿が横に5棟並んでいます。
向かって左に礼殿があります。礼殿の前には第一本社と第二本社が並んでいます。第一本社は「結宮(むすびのみや)」といい、熊野結大神(くまのむすびのおおかみ。那智の主神)を祀っています。第二本社は「速玉宮(はやたまぐう)」といい、熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)を祀っています。
新宮には下記のように熊野十二所権現+神倉山の祭神の13社が祀られています。
社殿名 | 祭神名 | |||
上四社 | 第一殿 | 速玉宮 | 熊野速玉大神・伊邪那岐大神 | |
第二殿 | 結宮 | 熊野夫須美大神・伊邪那美大神 | ||
第三殿 | 証誠殿 | 家津美御子大神・国常立尊 | 上三殿 | |
第四殿 | 若宮 | 天照皇大神 | ||
神倉宮 | 高倉下命 | |||
中四社 | 第五殿 | 禅児宮 | 忍穂耳尊高倉下命 おしほみみのみこと | |
第六殿 | 聖宮 | 瓊々杵尊 ににぎのみこと | ||
第七殿 | 児宮 | 彦穂々出見尊 ひこほほでみのみこと | ||
第八殿 | 子守宮 | うが草葺不合尊(う=慮+鳥、が=茲+鳥) | ||
下四社 | 第九殿 | 一万宮 十万宮 | 国狭槌尊 くにさづちのみこと とよくむぬのみこと | |
第十殿 | 勧請宮 | 泥土煮尊 うひじにはにのみこと | ||
第十一殿 | 飛行宮 | 大戸道尊 おおとのじのみこと | ||
第十二殿 | 米持宮 | 面足尊 おもだるのみこと |
熊野本宮大社
いよいよ熊野本宮大社です。まずは、旧社地で「大斎原」(おおゆのはら)と呼ばれている中洲へ。こちらには、現在日本で一番高い大鳥居が建っています。(高さ33.9m、横42m、鉄筋コンクリート造、平成12年完成)。
明神鳥居の島木の真ん中に神紋である「八咫烏」紋がありました。写真ではちょっと見えにくい。(デジカメ充電キレにてiphoneにて撮影で余計に)
鳥居をくぐり、杉木立のなかの石段へ。
石段の両脇には「熊野大権現」と書かれた奉納幟が立ちならんでいます。
神門をくぐると、檜皮葺きの古色蒼然とした社殿が向かって左から第一殿・第二殿の相殿(あいどの)、第三殿、第四殿と3棟並んでいます。
中央にあるのが第三殿で、この第三殿が本社です。
「証誠殿(しょうじょうでん)」といい、主神の家都美御子大神(けつみみこのおおかみ。家都御子大神(けつみこのおおかみ)ともいいます)を祀っています。
スサノオ尊であるともいわれています。
こちらでは熊野牛王神符、手ぬぐい、勝守りを頂きました。
牛王符は、三社ですべて違います。本宮は88羽、速玉 は48羽、那智は72 羽です。
明神鳥居の島木の真ん中に神紋である「八咫烏」紋がありました。写真ではちょっと見えにくい。(デジカメ充電キレにてiphoneにて撮影で余計に)
鳥居をくぐり、杉木立のなかの石段へ。
石段の両脇には「熊野大権現」と書かれた奉納幟が立ちならんでいます。
中央にあるのが第三殿で、この第三殿が本社です。
「証誠殿(しょうじょうでん)」といい、主神の家都美御子大神(けつみみこのおおかみ。家都御子大神(けつみこのおおかみ)ともいいます)を祀っています。
スサノオ尊であるともいわれています。
こちらでは熊野牛王神符、手ぬぐい、勝守りを頂きました。
牛王符は、三社ですべて違います。本宮は88羽、速玉
2012-08-05
二見興玉神社
伊勢神宮1 外宮
二見を後にして朝6時、外宮に到着。まずは伊勢鳥居(笠木の木口は五角形)をくぐる。そして神楽殿側の授与所にて御朱印帳(1,000円)を購入し、二頁目に御朱印を頂く。<1頁目は「内宮」のために開けておく>
朝から気温はかなり高く暑いのですが、とにかく緑が清々しい。
最初に「正宮」を参拝。天照大御神のお召し上がりになる大御饌(御食物)の守護神であり、すべての産業をお守り下さる神様として豊受大御神をお祀りしています。「正宮」の塀のなかにはガードマンが立ち、中での撮影はできません。
圧倒的な静謐さにしばし身体を委ねました。
正宮をあとにして、まずは別宮「風の宮」を参拝。外宮の千木はすべて「男木」(木口が垂直:外削ぎ)形式のようです。鰹木は5本です。 風の宮のご祭神は、風雨を司る神とされる級長津彦命と級長戸辺命(しなつひこのみこと、しなとべのみこと)です。イザナミが朝霧を吹き払った息から生まれたのが、級長津彦命で、 級長戸辺命 は女神で、シナツヒコの妻とされています。
そして、西隣にある「土宮」を参拝。 土宮の祭神は外宮所在地の地主の神である大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ) である。神宮の境内別宮は基本的に南面しているが、土宮は鳥居を持ち東面している。
最後に 檜尾山(ひのきおやま)にある 「多賀宮」を参拝。 山頂にあるので高宮(たかのみや)であったが、縁起のよい字を当て多賀宮(たかのみや)になったと考えられている。 外宮の4別宮のうち、『止由気宮儀式帳』(804年)と『延喜式神名帳』に記載されているのは多賀宮のみである。祭神が外宮の祭神の豊受大御神の荒魂である豊受大御神荒魂(とようけのおおみかみのあらみたま)であることから、4別宮の中で最高位とされてる。
伊勢神宮2 外宮境外別宮 月夜見宮
伊勢神宮3 内宮境外別宮 倭姫宮
次に向かったのは、皇大神宮別宮「倭姫宮」です。ご祭神は、日本神話で第11代垂仁天皇の第四皇女と伝えられる倭姫命である。御幸道路を挟んで、皇学館大学の西にあり、周辺には神宮徴古館や神宮美術館、神宮農業館などある。大鳥居のすぐ北の交差点に入口の鳥居があり、参道が続く。
入口は目立たないが、参道は広く、木々も繁っていて、別世界に入って行く感じする。突き当たりの階段を上るとそこに社殿が見えてくる。
さて、倭姫命は、大神の鎮座すべき場所を探し、宇陀の篠幡から、近江国、美濃を経て伊勢国に至った。 その時、天照大御神は「伊勢国はしきりに浪の打ち寄せる美しい国である。この国に居りたいと思う」と告げられたので、五十鈴川のほとりに祠を建てた。これが伊勢の神宮の創祀である。
入口は目立たないが、参道は広く、木々も繁っていて、別世界に入って行く感じする。突き当たりの階段を上るとそこに社殿が見えてくる。
さて、倭姫命は、大神の鎮座すべき場所を探し、宇陀の篠幡から、近江国、美濃を経て伊勢国に至った。 その時、天照大御神は「伊勢国はしきりに浪の打ち寄せる美しい国である。この国に居りたいと思う」と告げられたので、五十鈴川のほとりに祠を建てた。これが伊勢の神宮の創祀である。
伊勢神宮4 内宮境外別宮 月読宮
倭姫宮から内宮へ向かう道、倉田山から楠部の坂を下り、近鉄線のガードをくぐりぬけると、左方に森が見える。これが皇大神宮(内宮)別宮の「月読宮」であるご社殿は四宮が並び、南面して鎮座している。
左から、月読荒御魂宮、月読宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮です。それぞれ、月読尊荒御魂、月読尊、伊弉諾尊、伊弉冊尊を祀っている。
参拝は月讀宮-月讀荒御魂宮-伊佐奈岐宮-伊佐奈弥宮とされている。
この場所だけは、別の空間にいるように感じます。
左から、月読荒御魂宮、月読宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮です。それぞれ、月読尊荒御魂、月読尊、伊弉諾尊、伊弉冊尊を祀っている。
参拝は月讀宮-月讀荒御魂宮-伊佐奈岐宮-伊佐奈弥宮とされている。
この場所だけは、別の空間にいるように感じます。