下関を離れる直前に「中山神社」に参拝です。
幕末期に尊王攘夷の立場で活動(天誅
神紋は、もちろん『中山杜若』紋
中国清朝最後の皇帝、宜統帝(薄儀
{ 忠光は長州藩にかくまわれていた時に側女として仕えていた恩地トミを溺愛した。恩地ト ミは、忠光が暗殺された後に遺児仲子を産んだ。忠光の正室・富子が仲子を引き取り養育 する事になり、公家の姫として育てるために長府藩の藩主毛利氏の養女となり公家・中山 家に引き取られた。維新後に仲子は嵯峨公勝夫人となった。清朝最後の皇帝で後に満州国 皇帝となった愛新覚羅溥儀の弟である溥傑に嫁いだ浩は、仲子の孫で、忠光の曾孫にあた る}。