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2014-06-27

吉田神社


出張で来たついでに朝早く「吉田神社」を参拝してきました。
京都大学の傍、吉田山に鎮座しています。
一の鳥居を潜り、二の鳥居の先が階段です。
美しい新緑が眩しいばかりです。
境内には、神の使いといわれる「鹿の像」が置かれています。
こちらのご祭神は、
・建御賀豆智命 (たけみかづちのみこと、武甕槌命)
・伊波比主命 (いわいぬしのみこと、経津主命)
・天之子八根命 (あまのこやねのみこと、天児屋根命)
・比売神 (ひめのかみ)の四柱です。

そうです、春日神社の神様。吉田神社は、貞観元年(859年)、藤原山蔭が一門の氏神として奈良の春日大社四座の神を勧請したのに始まります。『延喜式神名帳』への記載はない(式外社)が、永延元年(987年)より朝廷の公祭に預かるようになり、正暦2年(991年)には二十二社の前身である十九社奉幣に加列されました。二十二社(下八社)の一社にして、旧社格は官幣中社。現在は神社本庁の別表神社です。
境内中央に、三の鳥居。その奥が拝殿。先に中門です。
中門より、奥に並ぶ「ご本殿」をわずかに拝することができます。4柱にあわせ、4つの本殿。勿論、「春日造」です。
神紋は「下がり藤」紋です。



















そしてここから、元宮へ向かいます。吉田神道根本道場 末社斎場所大元宮。八角形の本殿に六角の後房を付した重要文化財。本殿の周りを長棟の延喜式内社三一三二社が取り囲み、天神地祇八百万神を祭っており、内院参拝で拝することができるのです。































社殿の奥の本殿の千木が美しく顔を出しています。
 本殿は、八角形。屋根中央の妻に「日本最上 日高日官」の額が掲げられています。
もと神職卜部(吉田)家邸内にあったのを文明十六年(一四八四)吉田兼倶がここに移建したもので、吉田神道の根本殿堂をなすものです。
天正十八年(1590年)神祇官八神殿も社内後方に移され、江戸時代より明治四年(1871年)に至るまで朝廷の奉幣使派遣のとき神祇官代としてその儀式を執行しました。  
本殿(重要文化財)は慶長六年(1601年)の建築で、正面八角に六角の後方を付し屋根は入母屋造・茅葺、棟には千木をあげ、中央に露盤宝珠を置き、前後に勝男木をおく特殊な構造をもっている。
この形式は神仏習合(神道と仏教の折衷調和)、陰陽五行(万物は陰
と陽の二気によって生じ、火木は陽、金水は陰、土はその中間にあるとし、これらの消長により大地異変・災事・人事の吉凶を説明)などの諸説を総合しようとした吉田神道の理想を形に現わしたものといわれます。
千木は前方(南側)が内削【うちそぎ】、後方(北側)が外削【そとそぎ】になっています。
棟に置かれた勝男木【かつおぎ】も独特です。
南半分は丸材を3つ重ねたものが3組置かれています。
北半分は角材が2組置かれています。
そして棟の中央部には露盤宝珠が取り付けられています。感動!!